「これまでの本、これからの本」第3回 原田範行教授

「お薦めの本を1冊挙げてください」と言われたら、皆さんはどの本を思い浮かべますか?
このコーナーでは様々な先生方に学術書を中心にご自身の思い出の書籍、現在関心を抱いている書籍を挙げていただき、それらの書籍に対する思いを語っていただきます。

【インタビュー】

Q: 先生のご記憶にある最初の読書の思い出から伺いたいのですが・・・

私の父を含めて、うちの家が国文学系の研究者が多くいたこともあり、小学校高学年の時には、日本文学をよく読んでいましたね。家に全集があったので、特に近代の、芥川とか、漱石、鴎外、太宰、は小学校高学年から中学にかけてひととおり読んでいました。

講談社から出ていた「現代日本文学大系」という、100巻ぐらいの叢書があって、一種のアンソロジーなんですね。漱石が2巻だったり、いちばん始めのほうは福沢諭吉とか西周とかで、西脇順三郎の詩なども入っていました。一般的ではあるんですけれど、かなり幅広くおさえてありました。

Q: それはお父様の御蔵書で?

ええ。しかしそれはやはり活字が小さいんですよね。二段組みでね。厚くて。それで永井荷風なんかは挫折してしまって。荷風のものはああいう組版に合わないかもしれませんね。

それで読みづらいばあいには文庫本を買いました。比較的中学生の時に好きだったのは新潮文庫なんですね。漱石・芥川・太宰は新潮文庫で大体揃えましたね。そのときに岩波文庫は読みにくくて挫折してしまって、読みにくいというので、それからずいぶん敬遠しましたね。

Q: 本を主体的にお買いになられたのは中学生から?

そうですね。それらの文庫本がはじめですね。講談社の「大系」が読みにくかったり、重かったり、場合によっては抄録しかなかったりしたので。

Q: 一番最初に買われた文庫本などは御記憶にありますか?

いちばん早かったのは、漱石とかだと思いますね。たとえば『三四郎』『それから』は「大系」にあったけど、『行人』はなかったから買う、という感じですね。

あと、私の祖母のいとこというのが大谷藤子という作家だったんですね。大谷藤子というのはどういう人かというと、この『學鐙を読む』という本に載っていますね。(研究室の書棚から『學鐙を読む』を開く)

私は直接会ったことは無いので伝え聞くだけなのですが、林芙美子なんかと接点があったようです。それで「放浪記」なんかは早くに読んだのですけど、実際に大谷藤子の作品を読んだのは大学生になってからですね。

Q: 高校時代にはどのような本を読まれましたか?

哲学が好きになったので、プラトンとかカントのものを読んだりしました。もちろん翻訳ですが。それから哲学・思想の歴史を古代から説き起こしたラッセルの哲学史、みすず書房から出た3巻本は記憶に残っていますね。あと、サルトルのものを読みました。

Q: 先生の学生時代とサルトルとは時代的には・・・サルトルのほうが前ですよね。

かなり前ではあるのですが、高校の倫理社会の先生が京大の哲学科出身で、そこでイントロダクションを受けました。

Q: そういう哲学へのご関心がありながら、ほかのいわゆるヨーロッパ文学にご関心を持たれるのも高校時代ですか?

そうですね、リルケの『マルテの手記』なんかを読んだのは高校3年くらいでしたかね。なんで『マルテの手記』なのかというと、リルケという作家がロダンと非常に関係がある。つまり彫刻と、小説や詩が結びつく、というか、ジャンル横断的に表現としていて、そこにどのような相互関係があるのかに興味を感じたのです。私は中学の時からクラシック音楽に興味があったのですが、曲想を文章で創作的に表現してみるというのが好きでした。音楽と文学が相互に響き合う表現の世界ですね。そんなことを考えているときにリルケの話を聞いて、彫刻と言語表現が重なり合っている、それに関心をもって読んだわけですね。

Q: 脱線するかもしれませんけど、読書と同時に音楽や絵画へのご関心も非常にあったわけですか。

そうですね。中学のときはドヴォルザークからはじまって。あの「新世界」というのは文章にすると、旅行記になるんじゃないかな、というような。わりと創作に対する関心もあったんですよ。

Q: 何か習作されたりというのはございますか。今でも残っていますか?

中学・高校時代にやりましたが、今ではもう残っていないですね。(笑)

Q: そういう中で英文学もヨーロッパ文学の一つとしてお読みになっていたわけでしょうか。

英文学的体験の最初は、小学生のときに『リア王』を日生劇場に見に行ったのが初めだろうと思います。その後、小学校の図書室にシェイクスピアの全訳ではなくて児童向けの抄訳みたいなものが並んでいて、『ハムレット』とか『マクベス』とか『オセロー』とかを読んだ記憶があります。

その時は大変面白く読んだのですけど、そのあと特に英文学ということで言うと、もちろん『ガリバー旅行記』とか『ロビンソン・クルーソー』とかは読んだのですが、特にある作品に魅せられて英文学を集中的に読んだということはありませんでした。むしろ、国文学とか、『罪と罰』『戦争と平和』といったものを読んでいました。英文学は逆に英語の授業があるから、あまり深入りしなかったのかも知れませんね・・・高校あたりの英作文とか英文解釈で文学作品というか、作家の書いたエッセイなどがたまに出てきますが、そういうのは大体英文解釈上問題になりそうなところばかりで、中身を味わうというのとは、かなり乖離していましたね。だから英語の授業がなければ、逆にもっと英文学に接していたかもしれないんですけど。(笑)そういう点では英文学は一番遅かったですね。

英語の授業の問題もさることながら、これは英文学が持っている特質に関わるのかも知れません。ロシア文学やフランス文学のように、若い人たちの心をぐっとつかむようなものでは英文学は必ずしもないですよね。どちらかというと、小野寺健先生が仰っていますけれど、「大人の文学」だというようなね。

Q: 「青春の文学」ではないということでしょうか。

そうですね。もうひとつ英文学の日本における受容が、中身に即して日本語で分り易く紹介するということに対する躊躇があるんですよね、英文学者には。どうしても「英語できちんと読まなければ」思ってしまうので。それは外国文学をやっていれば当然なのですが、構わず一気に中身を紹介するということはあまりなかったのです。サルトルの翻訳も最初は誤訳だらけだったといいますけれど、ともかくサルトルがやってきて、日本で大変な騒ぎになる、ああいう力があまりなかったような気がします、不思議ですけどね。

Q: それは日本語、あるいは日本への受容ということと関係しているのか、あるいは英文学そのものがもっている特質なのか・・・

両方だと思いますね。実際明治の最初からというか、戦前までは英文学のもっていた位置づけというのは、「知的なものの紹介」ということと重なっていたのではないでしょうか。たとえば福沢諭吉の時代には「英学」と称して、ヴィクトリア朝のトマス・カーライルとか、小説としてはアメリカのワシントン・アーヴィングとかそういうものが入ってくる。あの紹介のされ方というのは、英文学なりアメリカ文学なりのきちんとしたディシプリンに基づいてというよりも、むしろ日本人の知的欲求をどんどん満たすようにという流れですね。その勢いというのが、私の時代でいうと、仏文とか、露文が持っていました。露文は僕よりもずっと前の世代でしょうけどね、いわゆる安保世代とか。

Q: 「大人の文学」としての英文学というお話がありましたけれども、それでは、現代の学生さんたちをご覧になっていて、やはり同じような受け取られ方をされているんでしょうか?

そうですね、たとえばイギリス文学とアメリカ文学を比較すると、学生が入りやすいのはアメリカ文学でしょうね。アメリカは、大戦後、国力があるし影響力もある。イギリスのほうは西洋の歴史を多少知らなくてはいけないけれど、アメリカはそういうものなしでも受け入れられる。短編も多い、文体もハードボイルド的で比較的入りやすいという場合もあります。そういうことからすると、やはりイギリス文学の方が、とっつきにくいということはあるのかも知れませんね。

Q: 文学以外に、非常に感銘を受けた書物があるということですが・・・

イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』ですね。中世イスラム圏の歴史家であり宗教学者ですけれど、なんでこんなものを読んだかというと、大学一年の時に「近代思想史」という授業があって、夏休みに課題のレポートがあったんですね。そこで誰もやらないような作品について書こうと思ったのです。

このとき岩波書店で「イスラーム古典叢書」というシリーズがあって、新訳を出そうとしているところだったんですね。膨大な量でした。『歴史序説』というから歴史理論のことが書かれているのかと思ったんですが、理論的なことに加えて、「どこそこで何があった」というのを延々と語っていましてね、読んでいく中で今でも非常に印象に残っているのは、「古典」というのは、こういう時間の流れなんだなというのを、最初に実感したのがこの本だったんですね、非常にゆっくりしている。

Q: それは、「古典一般」についての実感なんですか、それともイスラム圏の古典についてなんでしょうか。

たぶん古典一般として、ですね。それで、後になってから例えばラブレーなども読んだわけですけれども、古典というのは、こちらが「こういうことを言おうとしているのかな」と思ってもそこにストレートにいかず、いろんなところを迂回するのですね。いわば、いろいろな時間が流れていて、そのリズム感が、相当今と違う。現代人が感じている時間の流れというのは人間の歴史の中で現代特有なものではないかと感じました。

日々やること、たとえば現代のわれわれでいうと、毎日メールをチェックして、返信する。大変便利ですけど、たとえば昔の人であればゆっくり手紙を書いて、となるわけですね。他方、我々がメールを書いて、時間が浮いて、その浮いた時間で読書でもするか、と言えば、そうはならない。

Q: 今度はその時間でまたメールを、ということに・・・(笑)

わりと余計なメールを書いたりしている。古典を読んでいくときに感じられるリズム感は、そういう現実に対して超然としている。

大学の授業では、この古典は長いから、「要するにこうです」と全部説明してしまう、今そういう授業がものすごく増えている。けれどそれは1年や2年では本当は終わらないリズムのものを勉強しているわけで、それこそ一人一作だけしか作品を残さず、それが古典として残っているような作家の場合は、その作品がもっている本来のリズム感は1回の授業で語れるものではなくて、むしろ一回の授業だけでは語らないことに意味があるわけですね。

1回で語り尽くせないからこそ学生は不満に思い、自分で読んでみようと思ったり、あるいは「先生は、この作品については語り切れなかったんだな」と学生が思ったりするところに、本当の教育的価値があると私は思っているんです。現代的なリズム感とは全然違う世界が人間の中にあって、それこそが今の私たちの文化にとって、とっても重要じゃないか。

私が『歴史序説』を読んだのは大学1年でしたけど、リズム感が全然違う、時の流れがゆっくりしている、ゆっくりしているが着実に進んでいて積み重なっている、そういうプロセスがある書物に出会ったということ、これは私の読書生活にとって非常に重要な体験でしたね。

Q: 現代とは違う時間の流れを読む、ということが「古典」を読むことの意味であると・・・

はい。古典の抄録とか抄訳とかは最近多いですが、現代の人たちに古典を理解してもらおうというその趣旨には賛成ですが、古典のもっている本来の力、こういう時間の流れに生きた人たちがいたんだ、という部分がそぎ落とされるような気もします。

Q: 堀田善衛の『インドで考えたこと』(岩波新書)にも感銘を受けられたようですね。インドというのも独特の時間の流れがあるように思いますが・・・

これは高校の1年生の時に読んだのですが、ひとつはまず堀田善衛さんの文体が、たとえばインドの溢れ返るような人の流れの描写などが、非常に鮮烈だったということ、そして、こう言う作品が学術的な内容の多い岩波新書で出版されたということが印象に残っています。インドで堀田さんが感じたあの印象・心象というものはそれ自体が非常に豊かな異文化理解の素材、それも学術的な素材になりうるんだな、というのを実感したんですね。

Q: いろいろなご関心の中で、英米文学にフォーカスが当たるきっかけというか、道筋というのは・・・

大学2年の時に文学部の中で専攻を決めることになるのですが、大学1年の時はあまり意識していませんでした。国文学も考えたのですが、漱石や芥川は、実は彼ら自身は英文学研究から出発しているので、ちょっと躊躇しました。あと、古典がよく読めないとですしね。井原西鶴なんかは高校の時から読んでいましたが、やっぱりうまく読めないんですね。岩波文庫だったせいかも知れないけれど。(笑)高校でも大学でも、古文や日本古典文学の授業は、あまり好きではありませんでしたし。

あと、独文学とか仏文学とかを僕は日本語では読んできたのだけれども、この日本語というのはいったいなんなのかとも思ったんですね。『舞姫』とか『たけくらべ』とか、『にごりえ』とか、あのへんの日本語というのはもうすでにかなり読みにくい。そうすると、今の我々の日本語というのは、時代的にかなり新しいものであると。そういうものでロシア文学とか独文とか仏文について読み、議論するというのは、どうも非常に狭い島国の、限られた時間的枠組みの中だけでやっていることで、どうも閉塞感があるなと。どうせなら外に出ていく、要するに海外の文学に興味があるならばその国の言語に堪能でなければいけないと考えた。自分の家に国文学者が多かったので、それから離れたいというのもありましたけど、まあそういうことで、それじゃあ英文学にしようかというのがきっかけでした。

大学2年の時に、原文を精読するという演習で『マクベス』を読んだのですが、これは本格的に英文学の原典を全編通じて読み込んだ最初の作品です。やっぱり原典を精読すると、きわめていろいろなものが出てくる。『マクベス』は現代でも上演されることが非常に多いですよね。この芝居はエリザベス女王が亡くなった後に書かれて、その後18世紀にはいろいろな校訂版、注釈版が出ます。芝居自体が緊密な構成で出来ていて、いろいろな局面があるし、本文校訂や演出の問題など、要するにどこから登っても面白い山なんです。しかもシェイクスピアっていうのは、我々は一人の人物を想定しますけど、彼が書いた芝居の原稿は何も残っていない。ただ別の所に彼が記した署名が残っているだけ。なので、アプローチの仕方が非常に自由。「作家(author)が書いた権威(authority)のあるテクストはこれです」なんて頭ごなしに言われて読むのとは違い、テクストへの接し方が柔軟で、それゆえに非常に能動的になれるわけですね。原文を精読しつつ、おそらく精読したからこそだと思いますが、私はこんな面白さを当時感じていました。

Q: 精読するから、書いていないことへの関心が出てくる・・・

文学が毛嫌いされるとすれば、その理由の一つは、文学って「受容的」なんです。「ともかく読まなきゃダメだよ」っていうことを先生たちも言うでしょう。たしかにそれはそうなんだけども、読むときの姿勢が受動的だから、みんな耐えがたくなっちゃう。読むときに想像力を働かせたり、「この部分は、作者はやる気ないね」なんて感じながら読んでいくことで、その作品がぐっと面白くなってくる。受動的だからこそ得られる、おそるべき能動的積極性。そのところを体験できたということは、『マクベス』を読んだ大きな収穫でしたね。

Q: 批評的に、主体的に読む、ということですね。

場合によっては書き換えちゃうとかね。18世紀のシェイクスピアの校訂版なんかには、いろいろありましてね。アレクザンダー・ポープという当時の天才詩人がシェイクスピア作品に注釈をつけていましてね、「シェイクスピアがこんな台詞を書くわけがない」っていうのでどんどん書き換えちゃう。ある意味では、明治以降のシェイクスピアの受容の歴史を考えても、歌舞伎で受容するとか、新国劇で受容するとか、積極的な読みとか改変がたくさんあったわけですよね。

Q: 先生が最終的にご専門とされたところの18世紀イギリスの「読書」とはどのようなものだったのでしょうか?

「本は最初から最後まできちんと読みなさい」ということをよく言われますよね。実はジョン・ロックが同じようなことを言っています。ロマン派詩人のコールリッジもね、 「ミルトンやシェイクスピアの言葉を、その意味を変えず、また彼らよりも下手な表現にならずに書き換えるのは、ピラミッドの礎石を素手で抜き取るくらい難しい。」 なんて言っています。これはまさに受容的な読書の典型なんですけど、実は、18世紀にこれとまったく相反していた人たちがいて、サミュエル・ジョンソンという当時の文豪なんかは、「こんなくだらない書物を読み通す人間がいるだろうか」なんて言い放ったり、「あなたは書物を通読するのですか?」と教育者に問いかけたりしているんです。

どうもジョンソンは、『英語辞典』を作る過程でもそうだし、博識、非常に多芸多才な人間だったと言われていますけれど、同時にそれは読み飛ばす名人だったということでもあるのかも知れません。

しかしだからこそ、『英語辞典』の編集においても、あれだけの言語資料をほぼ独力で集めえた。ジョンソンが死んだあとに、その蔵書が売られるわけですけれども、そのカタログを見ると、非常に安いんですね。要するにジョンソンが読みつぶして汚くしてしまっている。で、その読みつぶしているのは、丁寧に通読して読みつぶしているんじゃなくて、あっちこっち拾い読みして、それで読みつぶしている。おそらく寝っころがって読んでいたんでしょう、だから本がものすごく傷んでいる。

Q: 先生と高宮先生が編纂された『本と人の歴史辞典』(柏書房)を見ますと、ジョンソンが本をぐわっと開いて読んでいますね。あまり愛書家の読み方という感じではないですね。

あれだけの読書家ではあるけれど愛書家ではなかったということですね。そういう読書者がいて、他方でコールリッジやロックの系譜の人がいて、それぞれどういう風に釣り合っていたのかということですね。もちろん、真面目な読み方は、それはそれとしてあったわけですけど、一つ確実に言えることは、今から考えると信じられないくらい、「不真面目」というか自由というか、あくまでも本に能動的にぶつかって行くようなジョンソン的読み方が少なくなかったということです。最初から最後まで、みたいな呪縛はなかった。

今は通読が当り前かも知れませんが、当時はジョンソン的な、飛ばし読みの読者がかなり多くいました。かったと思います。18世紀は、雑誌文化が勃興してくる時代ですね。『タトラー』とか『スペクテイター』などは最初は雑誌として出て、その後合本が刊行され、そのうちに叢書になって復刊される。雑誌にしても、あとから出た叢書版にしても、そもそもあまり通読を念頭に置いてはいませんね。必要なもの、面白いものを読む。本来「商品の貯蔵庫」という意味であった「マガジン」が、雑誌の名前に転化していくのは、まさにこの時期です。小説だって、お上品な通読を想定していたかどうかは、必ずしも定かではない。そもそも作家自身が、小説という新しい言語表現領域で、どうプロットを構築するのか、模索していた時期ですからね。ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』なんか、その典型でしょうね。

18世紀というのは、積極的で遊び心があるんです。『トリストラム・シャンディ』みたいに、トータルな筋を根本から否定するような作品がかなりあります。たとえば『ガリヴァー旅行記』だって、最初は小人の国に行って、次に巨人の国、ラピュータ、日本、そして馬の国フウイヌムへと旅するわけですが、 執筆順序は必ずしもこうではありませんでしたし、また児童文学なんかでは「小人の国」と「巨人の国」だけで成り立っていて、第三篇以降が消えてしまう、そういうのがいくらでもありますよね。おそらく、そういうバージョンのほうが世界中でよく知られているのではないでしょうか。ガリヴァーは第三篇で、空飛ぶ島ラピュータの後、バル二バービ、グラブダブドリブ、ラグナグ、日本と旅しますが、諷刺の矛先がこの順番によってより深く鋭いものになっているかというとそうでもない。ある意味で、どこから読んでも面白い。そういう風に考えてみると、通読にはどうしてもつきまとう、ある種の読書の消極性や受動性みたいなのとは相反する読書の習慣が存在したのではないか、と思います。

結局それは何だったのかということですが、当時は、革命もあり、混乱の中で新たな近代社会を構築していくという時代なんですね、しかも世界に先駆けてね。だから、ある意味では、規範となるものがない。自分たちで作らなきゃ、いけない。政治制度も経済制度も、そして何といっても、近代的な人間のあり方、そしてその人間たちが作る社会のあり方というものをね。そういう時に必要なのは、時として強引に見えることもあるかも知れませんが、古典であれ新作であれ、その優れているところをぐっとつかんで引っ張りだすような読書でしょう。これとこれが必要なんだと、そういう意識で書物に接する。だから18世紀後半にはアンソロジーがいろいろ出てくるということになります。そもそも今でも、面白いか面白くないか、良いか悪いかを判断せずに、やみくもに最初から通読している人はまずいませんよね。

Q: その当時の本を読む人たちというのは、知識人以外というのはどういう人たちがいるんでしょうか。

普通の家の場合、主人たちは読むけれど召使はあまり読まない。「普通の家」というのは例えば、それほど大きくない規模の地主、官吏、会計士や弁護士、中小企業や商店の経営者、聖職者、教区牧師などなどです。読書人口を考える場合に識字率という考え方を使うことが多いですが、これは識字率そのものをどう定義するかによってずいぶん違ってきます。他方、当時の刊行物でよく読まれたとされるものが、だいたい初版3,000部くらいなんですね。そこから計算すると、かりに読者層500人に1人がこのベストセラーを購入したとすると、読者層は150万人。18世紀も世紀の初めと終わりで異なりますが、かりにイギリス全体の人口が600万だとして、幼年層を差し引くと、だいたいポテンシャルな読者層(=本を読む人)が人口の30%ということになりますね。18世紀の後半になると、この数字がだいたい倍くらいに急増します。18世紀に発達した近代小説とジャーナリズムの影響がきわめて大きいですね。

召使たちが文学を読みだすのは、もちろん個人差や家庭、地域差もありますが、概ね19世紀も半ばになってからです。貧富の格差の拡大とか、「イギリスには富者と貧者の二つの国民がいる」などと言われていたわけですが、そのあたりから、読者層にもある種の分化が起こり、いわゆるハイカルチャーとポピュラーカルチャーが生まれてくるわけです。


東京女子大学
原田範行教授


現代教養学部 人文学科
英語文学文化専攻

Q: 貸本屋文化の広がりというのが、この時代は重要なようですが・・・

いわゆるサーキュレイティング・ライブラリーで小説を借りて読む、というのが、近代小説の始まりの時代にあってはむしろ普通だったわけですが、この貸本屋と密接に関係しているのが「分冊刊行」という出版の習慣です。

これは、サミュエル・ジョンソンの『ラセラス』の1759年に出版された初版本2巻です。ご覧の通り、1冊で刊行しても印刷・製本の技術からいえば十分可能なのですが、それにもかかわらず、2冊になっている。なぜか。これは明らかに貸本屋に回すことを前提にしているのです。1冊本だと一人に貸したらそれきりですが、2冊であれば、同時に二人に貸すことができる。会費も二倍取れるわけです。

18世紀後半から19世紀には、3巻本が多くなります。『ラセラス』の場合、どうやって分冊にしたのかというと、ここで第2巻が始まるわけですけれど、これをみてください。Princess continues her remarks upon private life. で始まるのですが、ここは、本当は切れてはだめなところです。全く内容とは関係ない、物理的理由、つまり原稿の分量で判断して真っ二つにしたという感じですね。これは出版社ドッズリーの都合で切られているのです。

面白いのは、このつなぎのセリフなんか、おそらくジョンソンが、分冊にする箇所を印刷直前に聞いて、慌てて挿入したのではないかと考えられているんです。これを真面目に、偉大な作者の創意工夫の痕跡、だなんて考えたら大間違い。そういうのを知ると、なんだか人間臭さがありますよね。

Q: ジョンソン自身がジェイムズ・ボズウェルによる『サミュエル・ジョンソン伝』というイギリスの伝記の登場人物となっており、もういっぽうでは『イギリス詩人伝』という伝記の作者でもある。その両面にいるのはおもしろいと思うのですが、そのあたりを・・・

「伝記」というと、17世紀後半、詩人のドライデンが「biographyバイオグラフィー」という言葉を使ったのが最初だと言われています。

なぜその時期にこの単語が生まれたかということなんですけれども、それまでの伝記は、聖人伝や国王の伝記、あるいはクロニクル(年代記)というような、聖人君主の記録だったわけですけれども、名誉革命と前後して、曲がりなりにも市井の人々が主人公になるような社会が出来上がる。その人たちが文学表現のターゲットになってくるわけですね。絵画のほうで、例えばホガースのように、やはり市井の人々を題材にした作品が出てくるのもちょうどこの頃です。

今でも、イギリスやアメリカの本屋さんへ行くと、必ず伝記のコーナーがありますよね。英語圏の伝記には、歴史記述に加えて、人物に対する伝記家自身の見立てというのが含まれている、それが魅力の一つなんでしょうね。

いっぽう日本では、そういう要素は歴史小説なんかにありますね。また、日本には伝記が少なくないにもかかわらず、それが隠れてしまっているところがある。ある書店で、「政治」のコーナーに「吉田茂」という本がある。これは、考えてみれば、「政治」じゃなくて「伝記」ではないでしょうか。「経営」のコーナーには、「松下幸之助」なんていう本もある。これも、いわば伝記ですよね。

結局、革命を経たイギリスでは、17世紀後半以降、個人というものが注目されて、それで伝記というジャンルが成立してくる。ジョンソンは若いころ『ジェントルマンズ・マガジン』という月刊誌に、いわゆる死亡記事や小伝なんかを書いていたんですけれど、そういうものを書いているうちに、やがてまとまったものを書くようになる。その最初は、1744年に刊行した先輩詩人リチャード・サベッジの伝記です。放蕩詩人だったのですが、ジョンソンにとっては親しい友人でもあった。今読んでも、なかなか面白い作品です。

そうこうするうちに、国王ジョージ三世との私的な会話を交わす機会があって、ジョンソンはイギリスの優れた文学者の列伝、つまり文学史のようなものを書いてほしいと依頼されます。国王の依頼だから、では早速に、という従順さはジョンソンにはない(笑)。しかしおそらくそれが頭にはあったのでしょうね。それからまた十年後、今度はロンドンの出版者約40名から、イギリスの詩人に関する叢書を刊行したいのだが、そのための序文的小伝を各巻冒頭にお願いしたいという、まあ敬意をこめた要請を受ける。これが、そもそも『イギリス詩人伝』執筆のきっかけです。そしてこれが晩年の大作になります。


『ラセラス』


Princess continues her remarks upon private life.

どうしてロンドンの出版者がそういう企画をしたかというと、もちろん一つには、いわゆるアンソロジーの文化の広がりということがあるわけですけれど、直接的には、エディンバラのアポロ・プレスという出版社が企画した「ブリティッシュ・ポウエッツ」という叢書があって、これはロンドンではジョン・ベルという、なかなか才覚のある出版者が販売を引き受けたんですが、その「ブリティッシュ・ポウエッツ」に対抗しようということだったんですね。これがその「ブリティッシュ・ポウエッツ」ですが。

Q: 細かい活字で組んでありますね・・・

これはBritishであって、Englishではないわけですね。スコットランドでの出版ですから。しかし、こんなに体系的に整った叢書をロンドンでも販売されたら、ロンドンの業者は干上がってしまう。これは困ったというので、これに対抗するEnglish Poetsを出そうという動きがおきる。そして、それに入れる解説を書いてもらおうと、当時、文壇の大御所として存在感のあったジョンソンに声をかけたというわけです。

British Poetsが古い詩人から始めており、これに対抗するためEnglish Poetsは、比較的新しいところから始めます。エイブラハム・カウリーですね。常識的に考えれば、どの詩人も同じくらいの解説・小伝を書きそうなものですけれど、ジョンソンは好きな詩人については延々と論じ、好きでない詩人は1ページで済ませてしまいました。(笑) そういうわけで、本来はジョンソンの解説と詩人の作品をひとまとめにして出す予定だったのですが、「作品とはわけて刊行したほうがよかろう」というわけで、単独の著作として刊行される。これが『イギリス詩人伝』です。いわゆる伝記と人物批評、そして作品批評が見事に融合しています。軽く1ページで片づけられた詩人は別ですが(笑)。

Q: いっぽうでボズウェルによる「ジョンソン伝」、これはゴシップに満ち満ちているという気がしますけれど、それも人間に対する関心というのが根底にあったのでしょうか。

そうですね。やはりジョンソンという人間、その個性が発する魅力でしょうね。あと、ボズウェルは実に記録魔なんですね。今も、ボズウェルの子孫がスコットランドにいるのですが、数年前にお会いしたとき、この人は、実に話し上手でした。というよりも、むしろ「話し魔」(笑)。サーヴィス精神が旺盛なのですが、ともあれその場にいた人は、日本人は私だけであと地元の人たちでしたが、それでもみんな、「やはりある種の血は争えない」と感じたようです(笑)。

Q: では、現在のお仕事について伺いたいのですが・・・

ジョサイア・コンダー編『世界旅行者大全』(ユーリカ・プレス 近日刊行予定)の解説を執筆しました。編者のコンダーというのは、日本に来た建築家コンダー(コンドル)のおじいさんで、編集者だったんですね。『パトリオット』という雑誌を編集していました。本書は1830年代の、つまりヴィクトリア朝が始まる直前のイギリス人が持っていた、世界に対する情報の一般的な知識の集大成です。

コンダー自身は、全く国外に出たことがないにもかかわらず、いろんな文献を渉猟して、大部の書物を書きあげた。これもアンソロジーの伝統ですね。インドについての記述やアフリカの記述が非常に多い。要するに、ヴィクトリア朝の普通の読者が、どのように世界を認識していたかがわかるわけですね。

面白いことに日本がない。この直後から、日本は世界史の中でも大きな位置を占めることになるのですが。

Q: これは当時、ほかの書物から転載されたものですか?

そうです。言ってみれば、当時刊行されていた書物や明らかになっていた情報を集め、整理して執筆されたというわけです。地図は新しく作っていますけどね。

Q: インド・アフリカが多いというのは、結果としてイギリスの植民地政策の反映としてもなるんでしょうか?

もちろんそうですね。ただ、私たちもそういう状況を考える際、慎重にあたる必要があります。20世紀、21世紀の私たちは、帝国主義の歴史とその行方を知っているわけで、どうしてもそこから「コロニアリズム」を見てしまう。

コンダーの著作にも、もちろん植民地主義的視点とか記述というのは少なからずあるわけですが、まず注目すべきは、これだけの書物というのは好奇心がなければとても生まれなかったということですね。その情熱はいったいどこからくるかというと、「世界各地を理解したい」という思いですね。「人を征服したい」という思いではない、結果は別としてですが。そういう好奇心に見られる活力というかエネルギー、まずはそれが本書の特色だと思います。1830年代の知識、そして好奇心の集大成です。そしてそれは、18世紀後半から続くアンソロジーや叢書、百科事典文化の広がりの延長線上に考えることもできるだろうと思います。

また、この時代は、各地の探検航海がひと段落して、世界地図が完成する時期でもあるわけです。世界の姿が地図上明らかになってきたところで、地誌的・歴史的な詳しい説明がまとめられたということになりますね。

Q: 解説は各巻に?

最初の巻に総合的な解説がのり、あとは各巻の内容にそった解説を収録しています。

Q: ほかに進行中のお仕事というと、どうでしょうか。

サミュエル・リチャードソンの『パミラ』の翻訳と、ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』の解説書を執筆中です。

ガリヴァーは小人国へ最初行くわけですけれど、浜辺に打ち上げられて、首都に連れてこられる。そこで皇帝に謁見するわけですが、皇帝は他の廷臣よりも、「私の爪の幅くらい背が高かった」とあります。これは何を意味しているのか。軽蔑?それともリアリズム?実はそこに、同時代の国王についての何重にも重なった諷刺が隠されています。そういうように、原文に沿って、原文の成立事情を徹底的に分析した本にしようと考えています。

あと、リチャードソン『パミラ』の翻訳をしているんですが、これが大変難しい。これは、研究社の「18世紀英文学叢書」の1冊です。

何が大変かというと、この小説は基本的にパミラという娘が両親に宛てた手紙という形式で書かれているわけですが、手紙の中の言葉、時として、誰かの言葉の直接話法的な引用であったり、そうかと思えばそれが間接話法的に紹介されたり、パミラ自身が声に出して語っている言葉もあれば、内的独白もある。直接話法的引用にしても、パミラの視点で引用されているわけで、語りの方向性というものが、どうしても乱反射的になるんですね。

そのために、毎回はじめるとペースが出るまでに時間がかかってしまう。この時間の流れも、ある意味で古典的というか、18世紀的であるとも言えるのかも知れませんね(笑)。

Q: 本日はお忙しいところありがとうございました。



「ブリティッシュ・ポウエッツ」

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ガリヴァ-旅行記(岩波文庫) 

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ジョナサン・スウィフト/平井正穂/岩波書店

ロビンソン・クル-ソ-<上>(岩波文庫) 

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ロビンソン・クル-ソ-<下>(岩波文庫) 

ロビンソン・クル-ソ-<下>(岩波文庫) 

ダニエル・デフォ-/平井正穂/岩波書店

罪と罰<1>(光文社古典新訳文庫) 

罪と罰<1>(光文社古典新訳文庫) 

ドストエフスキー/亀山 郁夫/光文社

罪と罰<2>(光文社古典新訳文庫) 

罪と罰<2>(光文社古典新訳文庫) 

ドストエフスキー/亀山 郁夫/光文社

罪と罰<3>(光文社古典新訳文庫) 

罪と罰<3>(光文社古典新訳文庫) 

ドストエフスキー/亀山 郁夫/光文社

戦争と平和(全6冊セット)(岩波文庫) 

戦争と平和(全6冊セット)(岩波文庫) 

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ/藤沼貴/岩波書店

歴史序説<1>(岩波文庫) 

歴史序説<1>(岩波文庫) 

イブン=ハルドゥーン/森本 公誠/岩波書店

歴史序説<2>(岩波文庫) 

歴史序説<2>(岩波文庫) 

イブン=ハルドゥーン/森本 公誠/岩波書店

歴史序説<3>(岩波文庫) 

歴史序説<3>(岩波文庫) 

イブン=ハルドゥーン/森本 公誠/岩波書店

歴史序説<4>(岩波文庫) 

歴史序説<4>(岩波文庫) 

イブン=ハルドゥーン/森本 公誠/岩波書店

インドで考えたこと(岩波新書) 

インドで考えたこと(岩波新書) 

堀田善衛/岩波書店

舞姫 うたかたの記~他三篇~(岩波文庫) 

舞姫 うたかたの記~他三篇~(岩波文庫) 

森 鴎外/岩波書店

にごりえ・たけくらべ 改版(岩波文庫) 

にごりえ・たけくらべ 改版(岩波文庫) 

樋口 一葉/岩波書店

図説本と人の歴史事典 

図説本と人の歴史事典 

高宮 利行/原田 範行/柏書房

トリストラム・シャンディ<上>(岩波文庫) 

トリストラム・シャンディ<上>(岩波文庫) 

ロ-レンス・スタ-ン/朱牟田夏雄/岩波書店

トリストラム・シャンディ<中>(岩波文庫) 

トリストラム・シャンディ<中>(岩波文庫) 

ロ-レンス・スタ-ン/朱牟田夏雄/岩波書店

トリストラム・シャンディ<下>(岩波文庫) 

トリストラム・シャンディ<下>(岩波文庫) 

ロ-レンス・スタ-ン/朱牟田夏雄/岩波書店

幸福の探求~アビシニアの王子ラセラスの物語~(岩波文庫 32-214-4)

幸福の探求~アビシニアの王子ラセラスの物語~(岩波文庫 32-214-4)

サミュエル・ジョンソン/朱牟田 夏雄/岩波書店

サミュエル・ヂョンスン伝<上>(岩波文庫) 

サミュエル・ヂョンスン伝<上>(岩波文庫) 

ジェ-ムズ・ボズウェル/神吉三郎/岩波書店

サミュエル・ヂョンスン伝<中>(岩波文庫) 

サミュエル・ヂョンスン伝<中>(岩波文庫) 

ジェ-ムズ・ボズウェル/神吉三郎/岩波書店

サミュエル・ヂョンスン伝<下>(岩波文庫) 

サミュエル・ヂョンスン伝<下>(岩波文庫) 

ジェ-ムズ・ボズウェル/神吉三郎/岩波書店

イギリス詩人伝 

イギリス詩人伝 

サミュエル・ジョンソン/小林 章夫/筑摩書房

Palestine, Syria, Asia Minor, Egypt, Numbia, & Abyssinia. …

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/(有)ユーリカプレス