万葉秀歌<上巻>(岩波新書 赤版 R-2)
斎藤 茂吉 著
内容
目次
序 従属選出歌 参照注釈書略表 巻 第 一 たまきはる宇智の大野に(中皇命・四) 山越の風を時じみ(軍 王・六) 秋の野のみ草苅り葺き(額田王・七) 熟田津に船乗りせむと(額田王・八) 紀の国の山越えて行け(額田王・九) 吾背子は仮廬作らす(中皇命・一一) 吾が欲りし野島は見せつ(中皇命・一二) 香具山と耳梨山と(天智天皇・一四) 渡津海の豊旗雲に(天智天皇・一五) 三輪山をしかも隠すか(額田王・一八) あかねさす紫野行き(額田王・二〇) 紫草のにほへる妹を(天武天皇・二一) 河上の五百箇磐群に(吹黄刀自・二二) うつせみの命を惜しみ(麻続王・二四) 春過ぎて夏来るらし(持統天皇・二八) ささなみの志賀の辛崎(柿本人麿・三〇) ささなみの志賀の大曲(柿本人麿・三一) いにしへの人にわれあれや(高市古人・三二) 山川もよりて奉ふる(柿本人麿・三九) 英虞の浦に船乗りすらむ(柿本人麿・四〇) 潮騒に伊良虞の島辺(柿本人麿・四二) 吾背子はいづく行くらむ(当麻麿の妻・四三) 阿騎の野に宿る旅人(柿本人麿・四六) ひむがしの野にかぎろひの(柿本人麿・四八) 日並の皇子の尊の(柿本人麿・四九) 婇女の袖吹きかへす(志貴皇子・五一) 引馬野ににほふ榛原(長奥麿・五七) いづくにか船泊すらむ(高市黒人・五八) いざ子どもはやく日本へ(山上憶良・六三) 葦べ行く鴨の羽がひに(志貴皇子・六四) あられうつ安良礼松原(長皇子・六五) 大和には鳴きてか来らむ(高市黒人・七〇) み吉野の山のあらしの(作者不詳・七四) ますらをの鞆の音すなり(元明天皇・七六) 飛ぶ鳥の明日香の里を(作者不詳・七八) うらさぶる情さまねし(長田王・八二) 秋さらば今も見るごと(長皇子・八四) 巻 第 二 秋の田の穂のへに霧らふ(磐姫皇后・八八) 妹が家も継ぎて見ましを(天智天皇・九一) 秋山の樹の下がくり(鏡王女・九二) 玉くしげ御室の山の(藤原鎌足・九四) 吾はもや安見児得たり(藤原鎌足・九五) わが里に大雪降れり(天武天皇・一〇三) わが岡の靇神に言ひて(藤原夫人・一〇四) 我が背子を大和へ遣ると(大伯皇女・一〇五) 二人行けど行き過ぎがたき(大伯皇女・一〇六) あしひきの山の雫に(大津皇子・一〇七) 古に恋ふる鳥かも(弓削皇子・一一一) 人言をしげみ言痛み(但馬皇女・一一六) 石見のや高角山の(柿本人麿・一三二) 小竹の葉はみ山もさやに(柿本人麿・一三三) 青駒の足搔を速み(柿本人麿・一三六) 磐代の浜松が枝を(有間皇子・一四一) 家にあれば笥に盛る飯を(有間皇子・一四二) 天の原ふりさけ見れば(倭姫皇后・一四七) 青旗の木幡の上を(倭姫皇后・一四八) 人は縦し思ひ止むとも(倭姫皇后・一四九) 山吹の立ちよそひたる(高市皇子・一五八) 北山につらなる雲の(持統天皇・一六一) 神風の伊勢の国にも(大来皇女・一六三) 現身の人なる吾や(大来皇女・一六五) 磯の上に生ふる馬酔木を(大来皇女・一六六) あかねさす日は照らせれど(柿本人麿・一六九) 島の宮まがりの池の(柿本人麿・一七〇) 東の滝の御門に(日並皇子宮の舎人・一八四) あさ日照る島の御門に(日並皇子宮の舎人・一八九) 敷妙の袖交へし君(柿本人麿・一九五) 零る雪はあはにな降りそ(穂積皇子・二〇三) 秋山の黄葉を茂み(柿本人麿・二〇八) 楽浪の志我津の子らが(柿本人麿・二一八) 妻もあらば採みてたげまし(柿本人麿・二二一) 鴨山の磐根し纏ける(柿本人麿・二二三) 巻 第 三 大君は神にしませば(柿本人麿・二三五) 否といへど強ふる志斐のが(持統天皇・二三六) 否といへど語れ語れと(志斐嫗・二三七) 大宮の内まで聞ゆ(長意吉麻呂・二三八) 滝の上の三船の山に(弓削皇子・二四二) 玉藻かる敏馬を過ぎて(柿本人麿・二五〇) 稲日野も行き過ぎがてに(柿本人麿・二五三) ともしびの明石大門に(柿本人麿・二五四) 天ざかる夷の長路ゆ(柿本人麿・二五五) 矢釣山木立も見えず(柿本人麿・二六二) もののふの八十うぢ河の(柿本人麿・二六四) 苦しくも降り来る雨か(長奥麻呂・二六五) 淡海の海夕浪千鳥(柿本人麿・二六六) 鼯鼠は木ぬれ求むと(志貴皇子・二六七) 旅にしてもの恋しきに(高市黒人・二七〇) 桜田へ鶴鳴きわたる(高市黒人・二七一) 何処にか吾は宿らむ(高市黒人・二七五) 疾く来ても見てましものを(高市黒人・二七七) 此処にして家やもいづく(石上卿・二八七) 昼見れど飽かぬ田児の浦(田口益人・二九七) 田児の浦ゆうち出でて見れば(山部赤人・三一八) あをによし寧楽の都は(小野老・三二八) わが盛また変若めやも(大伴旅人・三三一) わが命も常にあらぬか(大伴旅人・三三二) しらぬひ筑紫の綿は(沙弥満誓・三三六) 憶良等は今は罷らむ(山上憶良・三三七) 験なき物を思はずは(大伴旅人・三三八) 武庫の浦を榜ぎ回む小舟(山部赤人・三五八) 吉野なる夏実の河の(湯原王・三七五) 軽の池の浦回行きめぐる(紀皇女・三九〇) 陸奥の真野の草原(笠女郎・三九六) 百伝ふ磐余の池に(大津皇子・四一六) 豊国の鏡の山の(手持女王・四一八) 石戸破る手力もがも(手持女王・四一九) 八雲さす出雲の子等が(柿本人麿・四三〇) われも見つ人にも告げむ(山部赤人・四三二) 吾妹子が見し鞆の浦の(大伴旅人・四四六) 妹と来し敏馬の埼を(大伴旅人・四四九) 妹として二人作りし(大伴旅人・四五二) あしひきの山さへ光り(大伴家持・四七七) 巻 第 四 山の端に味鳧群騒ぎ(舒明天皇・四八六) 君待つと吾が恋ひ居れば(額田王・四八八) 今更に何をか念はむ(安倍女郎・五〇五) 大原のこの市柴の(志貴皇子・五一三) 庭に立つ麻手刈り干し(常陸娘子・五二一) ここにありて筑紫やいづく(大伴旅人・五七四) 君に恋ひいたも術なみ(笠女郎・五九三) 相念はぬ人を思ふは(笠女郎・六〇八) 沖へ行き辺に行き今や(高安王・六二五) 月読の光に来ませ(湯原王・六七〇) 夕闇は路たづたづし(大宅女・七〇九) ひさかたの雨の降る日を(大伴家持・七六九) 巻 第 五 世の中は空しきものと(大伴旅人・七九三) 悔しかも斯く知らませば(山上憶良・七九七) 妹が見し楝の花は(山上憶良・七九八) 大野山霧たちわたる(山上憶良・七九九) ひさかたの天道は遠し(山上憶良・八〇一) 銀も金も玉も(山上憶良・八〇三) 常知らぬ道の長路を(山上憶良・八八八) 世間を憂しと恥しと(山上憶良・八九三) 慰むる心はなしに(山上憶良・八九八) 術もなく苦しくあれば(山上憶良・八九九) 稚ければ道行き知らじ(山上憶良・九〇五) 布施置きて吾は乞ひ禱む(山上憶良・九〇六) 巻 第 六 山高み白木綿花に(笠金村・九〇九) 奥つ島荒磯の玉藻(山部赤人・九一八) 若の浦に潮満ち来れば(山部赤人・九一九) み芳野の象山の際の(山部赤人・九二四) ぬばたまの夜の深けぬれば(山部赤人・九二五) 島隠り吾が榜ぎ来れば(山部赤人・九四四) 風吹けば浪か立たむと(山部赤人・九四五) ますらをと思へる吾や(大伴旅人・九六八) 千万の軍なりとも(高橋虫麿・九七二) 丈夫の行くとふ道ぞ(聖武天皇・九七四) 士やも空しかるべき(山上憶良・九七八) 振仰けて若月見れば(大伴家持・九九四) 御民われ生ける験あり(海犬養岡麿・九九六) 児等しあらば二人聞かむを(守部王・一〇〇〇) 巻 第 七 春日山おして照らせる(作者不詳・一〇七四) 海原の道遠みかも(作者不詳・一〇七五) 痛足河河浪立ちぬ(柿本人麿歌集・一〇八七) あしひきの山河の瀬の(柿本人麿歌集・一〇八八) 大海に島もあらなくに(作者不詳・一〇八九) 御室斎く三輪山見れば(作者不詳・一〇九五) ぬばたまの夜さり来れば(柿本人麿歌集・一一〇一) いにしへにありけむ人も(柿本人麿歌集・一一一八) 山の際に渡る秋沙の(作者不詳・一一二二) 宇治川を船渡せをと(作者不詳・一一三八) しなが鳥猪名野を来れば(作者不詳・一一四〇) 家にして吾は恋ひむな(作者不詳・一一七九) たまくしげ見諸戸山を(作者不詳・一二四〇) 暁と夜烏鳴けど(作者不詳・一二六三) 巻向の山辺とよみて(柿本人麿歌集・一二六九) 春日すら田に立ち疲る(柿本人麿歌集・一二八五) 冬ごもり春の大野を(作者不詳・一三三六) 秋津野に朝ゐる雲の(作者不詳・一四〇六) 福のいかなる人か(作者不詳・一四一一) 吾背子を何処行かめと(作者不詳・一四一二) 改版に際して 参考地名
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