法解釈の言語哲学~クリプキから根元的規約主義へ~
大屋 雄裕
著
発行年月 |
2006年11月 |
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言語 |
日本語 |
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媒体 |
冊子 |
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ページ数/巻数 |
224p |
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大きさ |
22 |
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ジャンル |
和書/社会科学/法律/基礎法・法哲学・法思想史・法社会学 |
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ISBN |
9784326402397 |
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商品コード |
0106105110 |
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NDC分類 |
321.1 |
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商品URL
| https://kw.maruzen.co.jp/ims/itemDetail.html?itmCd=0106105110 |
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著者紹介
大屋 雄裕(著者):大屋 雄裕(おおや たけひろ)
慶應義塾大学法学部教授。東京大学法学部卒業。同大学院法学政治学研究科助手、名古屋大学大学院法学研究科助教授・教授などを経て現職。専門は法哲学。主な著作として『法解釈の言語哲学:クリプキから根元的規約主義へ』(勁草書房、2006年)、『自由か、さもなくば幸福か?:二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う』(筑摩書房、2014年)、『裁判の原点:社会を動かす法学入門』(河出書房新社、2018年)。
内容
法は客観的に存在するものか、それともわれわれの行為によって作られるものか。法律家の果たすべき役割とは何だろうか。
法の解釈は誰がやっても同じになるのか。後期ウィトゲンシュタインを中心とした言語哲学の成果を手がかりにして、規則にしたがうこと、意昧を知ること、解釈することなどの行為の性質を検討し、法解釈をいかに理解すべきか、根本的に考える。法解釈とは正解を見つけ出す作業などではない。法的現実という人工物を作り出し、不可能を可能にしていくわれわれの行為にほかならない。