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映画と経験~クラカウアー、ベンヤミン、アドルノ~(叢書・ウニベルシタス 1065)
ミリアム・ブラトゥ・ハンセン,
滝浪 佑紀
著
竹峰 義和
翻訳
発行年月 |
2017年08月 |
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言語 |
日本語 |
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媒体 |
冊子 |
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ページ数/巻数 |
6p,551p,139p |
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大きさ |
20cm |
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ジャンル |
和書/人文科学/芸術/映像 |
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ISBN |
9784588010651 |
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商品コード |
1025120631 |
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NDC分類 |
778.01 |
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本の性格 |
学術書 |
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新刊案内掲載月 |
2017年10月1週 |
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商品URL
| https://kw.maruzen.co.jp/ims/itemDetail.html?itmCd=1025120631 |
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著者紹介
ミリアム・ブラトゥ・ハンセン(著者):(Miriam Bratu Hansen)
1949年生まれ。フランクフルト・ゲーテ大学でアメリカ文学を専攻。エズラ・パウンド研究で博士号を取得後、渡米。イェール大学およびラトガース大学で教鞭をとり、1990年よりシカゴ大学英文科教授。映画メディア研究科の創設に尽力する。フランクフルト学派とメディアに関する研究を精力的に発表するかたわら、初期映画や映画とモダニティをめぐる論考を幅広く執筆。著書に、本書のほか、『バベル・アンド・バビロン――アメリカ無声映画における観客』(1991)。主な論考に、オスカー・ネークト/アレクサンダー・クルーゲ『公共圏と経験―ブルジョワ公共圏とプロレタリア公共圏の分析にむけて』英語版序文(1993)、「感覚の大量生産――ヴァナキュラー・モダニズムとしての古典的映画」(1999;邦訳:2010)、「ヴァナキュラー・モダニズム――グローバルな規模で映画を跡づける」(2009)など。本書脱稿直後の2011年2月に逝去。
滝浪 佑紀(著者):1977年生まれ。シカゴ大学映画メディア研究科博士課程修了。専門は、サイレント映画研究、メディア論。東京大学大学院情報学環特任講師、特任准教授をへて、現在、城西国際大学メディア学部准教授。論文に、「「動き」の美学――小津安二郎に対するエルンスト・ルビッチの影響」『表象』7号ほか。
竹峰 義和(翻訳):1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は、ドイツ思想史、映像文化論。現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。著書に、『アドルノ、複製技術へのまなざし――〈知覚〉のアクチュアリティ』(青弓社)、『〈救済〉のメーディウム――ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会)。共訳書に、メニングハウス『吐き気――ある強烈な感覚の理論と歴史』(法政大学出版局)、アドルノ『文学ノート2』(みすず書房)、シュティーグラー『写真の映像』(月曜社)ほか。
内容
クラカウアー、ベンヤミン、アドルノは、映画とは何かよりはむしろ、映画は「何をするのか」という問いを立てる。進化を遂げていくモダニティとしての映画、映画経験と映画を観る公衆の生きた経験との繋がりをなすモダリティ、いまだに予感しえない未来を生じさせる試みのなかで、映画という媒体、映画館という場のもつ可能性を追究する。映画学とフランクフルト学派が交差する思考の星座がここに煌めく。