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HOME > 企画商品/代理店マイクロ >シーボルト旧蔵「日本植物図譜」

和書

 

  • 原図所蔵:ロシア科学アカデミー・コマロフ植物研究所(ロシア共和国サンクト・ペテルブルク市)
  • 監修:木村陽二郎 (東京大学名誉教授) /V.グルボフ (コマロフ植物研究所・前植物標本部長)
  • 構成:全二巻(3冊)及び和文解説篇(1冊)
  • 第一巻(2冊) :カラー図譜(原寸大)341図、索引

    第二巻(1冊) :モノクローム版(縮尺)1041図、索引

    別冊和文解説篇(1冊)

  • 判型その他:B3判クロス装丁
  • 出版部数:限定450部
  • 価 格 :980,000 円 <品切>
  • 【監修にあたって】東京大学名誉教授 木村陽二郎
  • カタログ

最高技術の下に直接写真製版、日本人絵師による原図の彩色をそのまま再現

1823年、シーボルトは長崎は出島の蘭館に入った。日本滞在中、彼は出島内に小さな植物園をつくり、各地で採集した植物約千種を植え、季節毎の花や実の変化を観察し、絵師に写生させた。その成果は、フローラ・ヤポニカ「日本植物誌」にまとめられた。フローラ・ヤポニカは見事な植物図譜であるが、膨大な収集品のうち、150図を収載するに留まった。シーボルトの日本に於ける植物採集標本、写生原図は、彼の没後、未亡人によってロシア・アカデミーに売却され、その植物原図1041点は現在サンクトペテルブルグのロシア科学アカデミー・コマロフ植物研究所に所蔵されている。
写生原図の多くは、川原慶賀、清水東谷、川原玉賀らの日本人絵師の筆になるが、フローラ・ヤポニカには、ドイツ人画家が彩色を施したものが刷られた。今回のカラー版出版では、現代最高の技術の下に直接写真製版されたもので、日本人絵師による原図の彩色をそのまま再現することに成功した。

刊行全二巻、計三冊。-時代を越えた文化の息吹。

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)、博物学探検家とさえ称びたい彼が、その遺言によって一千枚におよぶ日本植物図譜をサンクト・ペテルブルグの帝室植物博物館に遺贈した。これらは、当時ロシア帝室科学アカデミー会員で、帝室植物博物館の主任研究員でもあったC.J.マキシモーヴィッチ(1827-1891)の努力で購入されたものであり、現在博物館の後身といえるロシア科学アカデミー図書館コマロフ植物研究所分館図書室で保管されている。この歴史については、新たに発見された資料を基に執筆された論文によって発表される。シーボルトの日記には、その第一回訪日(1823-1829)と第二回訪日(1859-1862)のものがあるが、日本植物に対する記述がたくさんあり、この間植物標本の収集と図譜を描かせたようである。これについても、論文のなかで詳論されよう。
この本は、シーボルトがJ.G.ツッカリーニの助力を得たとは言え、植物学探検家であったことを示そう。我々は、シーボルトと共に、日本植物研究を深める為にこれら図譜やツュンベリーの未公刊日本植物図譜などを収集してくれていたマキシモーヴィッチに、この本を献げたい。

第一巻 原寸で見る文化の息吹き

第一巻は二分冊により成り、Ia巻には201枚の川原慶賀による未公刊図譜が収められる。Ib巻には、慶賀の図でシーボルト『日本植物誌』に使用されたもの62点、他の絵師や西欧画家によるもの67点、版下に利用されたもの11点が、すべて原寸で再現される。ロシア科学アカデミー会員、A.タクタヂャン博士は、『まえがき』で次のように述べる。「これらは、多くのものが傑作と言えるものであると同時に、植物学上の図譜として最良の価値を有するといって過言ではない。ほとんどのものが自然にある植物から直接描かれ、非常な繊細さ、描線の正確さ、色彩の見事さ、これがその特徴として挙げられましょう。」

第二巻 総合資料としての貴重な礎

第二巻は、論文5編とカタログより構成される。カタログは、全1041図譜(白黒縮小写真)に、学名、記録がそれぞれ収められる。各植物は、各科ごとに属名のアルファベット順に配列される。科の定義と配列は原則として被子植物はメルキオール(1964)、裸子植物はピルガーとメルキオール(1954)によっている。

【監修にあたって】東京大学名誉教授 木村陽二郎

シーボルトを感嘆させた慶賀の画業
1823年、長崎は出島の蘭館に入ったシーボルトは、間もなくただ一人出入りを許されていた出島の絵師、川原慶賀に出会った。以来、シーボルトは日本滞在中慶賀に多数の植物図を描かせた。シーボルトが慶賀の絵を土台として欧州の絵師に植物図を描かせ、「フローラ・ヤポニカ」の第一分冊を出版したのは1835年で、その100図をまとめた第一巻が出版されたのはと1841年である。シーボルトは、来日のときから相当な数の日本植物の図譜を計画していた。1861年の再来日のときも、さらに優秀な画家をもとめて植物図を描かせていた。彼が、著書にフローラ・ヤポニカを書名としたのも彼の意図が察せられる。「フローラ・ヤポニカ」はその後、1870年には150図まで出版されたが、それで終わり、慶賀の描いた多数の植物図はそのまま印刷されず埋もれていた。アレーシナ女史の論文により、この慶賀とその他の人の図からなるシーボルト・コレクションがセント・ペテルスブルクのコマロフ植物研究所に完全に保存されていることを知った丸善株式会社はその出版を考え、わたしはたのまれて、はじめて同研究所を訪れ、シーボルト・コレクションの植物図をみて感動した。
シーボルトについで日本植物を志したのはマキシモーウィッチであった。彼は、シーボルトの日本再来訪のときの植物標本、川原慶賀ら日本人の多くの植物原図、日本で撮影した写真、シーボルトの得たツュンベリーの植物図譜、これらいわゆるシーボルト・コレクションを購入することを心に決め、ロシアのアカデミーに実行させたことは成功して、セント・ペテルブルグの地に残ったことは幸いであった。慶賀の図が下絵になっているのではないかと、かつて予想していたが、慶賀の描いたままの植物図と「フローラ・ヤポニカ」とをくらべてみて感銘深いものがあった。人の好みにもよるが、慶賀の図の方が自然の植物から直接描かれているだけに迫力があり、すぐれて見えた。伝統の長崎絵の写実性に加えて当時の清国、欧州両方の図の長所を生かし、シーボルトの指導のもとに描かれた慶賀の植物図は他にみられない独特の表現をしている。写実的ではあるが、その自然部分の切りとり方でその植物の性質を生かしている。本書で始めて復原された植物図は学術的に貴重であるのみならず、植物図として科学的にも正確な点と芸術の美を共に備えた最高の植物図であり、植物学、科学史、絵画史の専門家に限らず広く植物を愛する人々の宝であろう。

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