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私は自由なのかもしれない~<責任という自由>の形而上学~
斎藤 慶典
著
発行年月 |
2018年07月 |
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言語 |
日本語 |
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媒体 |
冊子 |
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ページ数/巻数 |
468p,10p |
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大きさ |
19cm |
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ジャンル |
和書/人文科学/哲学/認識論・存在論 |
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ISBN |
9784766425284 |
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商品コード |
1027582713 |
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NDC分類 |
111 |
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本の性格 |
学術書 |
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新刊案内掲載月 |
2018年08月2週 |
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商品URL
| https://kw.maruzen.co.jp/ims/itemDetail.html?itmCd=1027582713 |
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著者紹介
斎藤 慶典(著者):1957年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。同大学文学部哲学科教授。哲学博士。著書に「フッサール起源への哲学」「生命と自由」など。
内容
あなたの人生には、あなたに しかない固有の色が着いている のかもしれない。 だが、それがどんな色かを、 あなたを含めて誰も見ることが できない。 これが、「自由」ということなのだ ▼生命の自己保存を至上命令とする自然に生きる私たちに、「自由」はいかにして可能か。 ▼私たちの世界の存立構造の内に「責任」という仕方で兆した「自由」の可能性をめぐって、本書は、現代科学の議論を参照しつつヨナス、アレント、ハイデガー、レヴィナスらと共に、そして彼らに抗して、独自の思索を紡ぎ出す。 本書は、「自由」の起源を自然界における「自発性」に見出し、「心」から「意識」の成立を、一方を他方に還元できず、かつ両者の間には一方が他方を「支え」、他方が一方を「包む」という固有の関係性として捉え直すことで、形而上と形而下の論理を繋ごうとする。 このようにして生命の論理の支配下にいることに常に意識的でありながらも、それにも拘わらず、私は自ら欲したところのもので「ありうる」(「私は自由なのかもしれない」)。この純粋な可能性の次元に生きようとすること、これは誰に命じられたのでもない「自由」である。