マルクス=宇野経済学とともに
柴垣 和夫 著
内容
目次
講演と論説 知識人の資格としての経済学──マルクス経済学の効用── 「社会科学」と「社会諸科学」 科学と責任──経済学の場合── 学問の自由と科学者コミュニティの自律 ──日本学術会議『現代社会における学問の自由』余滴── 資本主義経済と「安全・安心」 大学生活の半世紀──武蔵大学最終講義── 政治・経済・社会評論 二十一世紀のアジアと欧・米 二十一世紀初年度の日本と世界 ──『時の法令』連載「そのみちのコラム」から── 「失われた十年」か「貴重な十年」か? 日本経済・長く根深い閉塞感の原因は? 「競争社会」と「協力社会」 日米関係の「安定」と「不安定」 閑話三題 米国は普遍か? 米国での無差別テロを巡って 大学が危ない!──短期的視野からの評価の危険── 産学協同の必要性と問題性 二十一世紀を構想する──ヨーロッパの再評価── 崩壊するか日本的経営 混迷続く日本経済──「改革」でなく「安定」を── 世界金融危機の意味するもの──資本主義の歴史的限界── 往事追懐 福岡県女子師範学校附属国民学校──回想の断片── 今は瞑想の彼方に──福岡女子師範附属小学校── 修猷館──中学・高校の六年── 駒場生活の諸相──東京大学教養学部── 遠景の東大経済大学院 揺籃期の全国大学高専教職員組合 伯林断章──ベルリン自由大学東アジア研究所── さまざまなアメリカ──UCバークレー校── デンマーク礼賛──コペンハーゲン商科大学── 現代日本研究の勃興期──三ヶ月の滞在で感じたこと── 日ソ経済学者シンポジウムの四半世紀 武蔵大学にて──四つの短文── 経済理論学会の五〇年と私 野ばら会との出会いと共生 今は亡き師と友 宇野弘蔵先生──人と学問── 追悼 大内力先生 教師としての大内先生 優しさと厳しさと──加藤俊彦先生の二つのお顔── 大石嘉一郎さん──兄貴のような存在── 渡辺洋三さん──東大社研などでの思い出から── 弔辞 加藤栄一君 志村嘉一への手紙 根津智治を偲ぶ 岡本友孝へ──今になって思うこと── 杉浦克巳と語り残したこと 渡寛さんのこと──大内OBゼミと唐桑半島── 高須賀義博──ラトビア共和国リガでのエピソード── はるかなる彼方の島成郎 あとがき 人名索引
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