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フーコーの闘争~<統治する主体>の誕生~(電子版/PDF)

箱田 徹  著

    数量 冊 
価格 \2,750(税込)         

発行年月 2013年09月
出版社/提供元
言語 日本語
媒体 EBOOK
ファイル形式 PDF
ページ数/巻数 312p
ジャンル 和書/人文科学/哲学/フランス・オランダ哲学
商品コード 1022066910
NDC分類 135.57
書評掲載誌 毎日新聞 2013/10/27
商品URL
参照
https://kw.maruzen.co.jp/ims/itemDetail.html?itmCd=1022066910

著者紹介

箱田 徹(著者):1976年生まれ。神戸大学大学院人間文化科学専攻博士課程修了。博士(学術)。立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。共著に「フーコーの後で」など。

内容

「闘いのとどろきを聞かなければならない」 ミシェル・フーコー

▼フーコーの権力論は1970年代半ば、『監視と処罰』と『知への意志』で頂点に達する。だが『狂気の歴史』に始まり、六八年五月を経て深化した、ラディカルな思索は、運動の退潮に伴い、権力と抵抗の二元論として受容された。闘争や抵抗は、その事実ではなく可能性のみが語られるようになった。しかしこの時期、フーコーの思索には新たな展開が生じていた。〈統治〉概念の導入を契機に、権力論が再構成され、倫理、自由、主体化、パレーシアの概念を軸に、独自の主体論が立ち上がる。そして〈統治〉する〈主体〉が姿を現す。
▼後期フーコーは「権力があるところに、抵抗がある」には留まらない。権力関係を成立させる〈自由〉に賭けるのだ。自由を用いる統治する主体は、「主観的な」真理によって、自己と他者の振る舞いを導き、他者から導かれる。
闘争とは、既存の導きのあり方を問い、導きの向きを変えることだ。それは絶えることのない、他者の導きへの叛乱であり、自己への反逆である。後期フーコーにおける生の美学、自己の倫理、自由の実践は、自己と他者への統治的なはたらきかけを指す。統治論が問うのは「いかにこのように統治されないか」である。現在性の哲学、現代統治性批判としてのフーコー思想は、この地点からこそ読まれるべきだ。

▼後期フーコー権力論の転回、その可能性の核心を捉える俊英の鮮やかなデビュー作。


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