著者紹介
真鍋和子(著者):1947年徳島県生まれ。清泉女子大学文学部卒業。図書館司書、中・高教員を経て作家の道へ。ノンフィクション中心の執筆を続けながら、日本大学芸術学部講師を長く務めた。沖縄での取材を重ねた主な作品に『ぬちどぅたから 木の上でくらした二年間』(汐文社)『シマが基地になった日 沖縄伊江島二度めの戦争』(金の星社)『いのちの重さ伝えたい 沖縄戦1フィート運動と中村文子の歩み』(講談社)『リュウキュウアユ、かえってきてね』(教育画劇)など、人物伝に『樋口一葉』『卑弥呼』(共に講談社火の鳥伝記文庫)などがある。日本児童文学者協会、日本児童文芸家協会、日本ペンクラブ会員。
多屋光孫(イラスト):和歌山県生まれ。3歳の頃より洋画家・益山英吾に師事。実家は祖父の代から続く多屋孫書店。主な絵本に『めねぎのうえんのガ・ガ・ガ・ガーン』(IBBYバリアフリー図書ノミネート/合同出版)『だがし屋のおっちゃんは、おばちゃんなのか?』〈第15回ようちえん絵本大賞受賞〉『こうして、ともに いきている』(共に汐文社)などがある。日本出版美術家連盟理事・事務局長、日本児童出版美術家連盟会員、この本だいすきの会会員。
内容
1944年9月、沖縄県名護市に独立混成第四四旅団の主力、第二歩兵隊が進軍した。この日を境に全沖縄県民、沖縄三中生全員の運命が大きく変わる。10月10日、アメリカ軍の大規模な攻撃が行われ、伊江島など大きな被害を受ける。沖縄県民の誰もが、ほんとうに戦争に巻き込まれたのだと実感したのだった。さらなるアメリカ軍の襲来にそなえて、兵力を増強しなければならない事態になったが、日本本土からの戦力の増強は困難で、沖縄内部での動員が強められていく。すでに全国での徴兵検査の年齢が19歳に引き下げられており、さらに防衛招集の規則が変えられ、戦闘のある地域では17歳以上の男子を兵士として召集できるようになった。これを受けて沖縄では、17歳から45歳までの男子が招集されて「防衛隊」が組織される。とくに兵力が不足する沖縄県北部地方では17・18歳の青年を中心に遊撃戦を想定した「護郷隊」が組織された。そのうえ、沖縄だけの特別な措置として14歳以上ならば、志願があれば兵士として召集できるようになったのだ。1945年1月、沖縄三中三年生全員が呼び出され、軍の要請により軍事教育が始まる。通信隊に入って、有線班・無線班・暗号班に分けられた三年生は空腹と重労働とたたかいながら訓練に励んだ。3月、沖縄全島の中学校・師範学校は学校ごとに鉄血勤皇隊を結成することが決められた。軍と連携して軍事訓練を行い、非常事態になったら防衛招集で軍に編入するという命令だ。三中鉄血勤皇隊のうち147人は八重岳の第二歩兵隊に、150人は多野岳の第一護郷隊二配属された。4月1日、アメリカ軍が沖縄本島への上陸作戦を開始する。6月23日、牛島司令官が自決し、日本軍の組織的な戦闘が終わる日までの、沖縄県北部の山岳での学徒兵たちの戦世の日々。そして生き延びた学徒たちが戦で命を落とした学友たちの慰霊碑「三中学徒之碑」を建立し、平和の大切さを願う日々を描くノンフィクション作品。