【MeL】老いと踊り
中島 那奈子, 外山 紀久子 著
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内容
目次
はじめに 序章 老いのパフォーマティヴィティ──老いる踊り手、老いない踊り[中島那奈子] はじめに 一 技術的な転回──生政治と老い 二 美学的転回──老いの美学 三 芸術的転回──老いと踊りの文化横断的研究 第Ⅰ部 踊りの遺産 第1章 制作と稽古と継承のはざま──ピナ・バウシュの《春の祭典》が遺したもの[ガブリエレ・ブラントシュテッター](古後奈緒子・針貝真理子訳) はじめに 一 《春の祭典リハーサル》──市田京美とのバウシュのリハーサルについて 二 《春の供犠》 ──コンテクストと伝達の作法 おわりに 第2章 老いと舞踊の哲学──絶対的他者としての老者の舞[貫成人] はじめに 一 老いの実相 二 老いをめぐる歴史の諸層 三 老いの哲学 四 老いと舞踊──弱さを逆手にとること 第3章 ダンスにおける痛みの身体[イヴォンヌ・レイナー](外山紀久子訳) はじめに 一 私の場合 二 老いていくパフォーマーたちとどう創作するか? おわりに 第4章 コンテンポラリーダンス、長寿、人生の意味[ラムゼイ・バート](越智雄磨訳) はじめに 一 老いをめぐる様々な言説 二 消費主義と老い 三 老いとダンス・パフォーマンスのポテンシャル 四 カウンターカルチャーとダンス 五 新自由主義時代の抵抗の場としてのダンス おわりに 第Ⅱ部 伝統での老いとポスト・ジェネレーション 第5章 上演の考古学──メレディス・モンクの《少女教育再訪》とレノーラ・シャンペーン作、出演によるソロ・パフォーマンス作品《メモリーの物置》[レノーラ・シャンペーン](常田景子訳) はじめに 一 メレディス・モンクの《少女教育》を再訪する 《メモリーの物置》シノプシス(二〇一四年) 《メモリーの物置》(二〇一四年、東京での上演のためのソロ・パフォーマンス台本) 第6章 論説と鼎談──日本舞踊と老い 一 老いと舞踊[渡辺保] 二 老いる未来と若返る伝統[花柳寿南海×花柳大日翠×渡辺保] 三 解題[中島那奈子] 第7章 日本における「老い」と「踊り」[尼ヶ崎彬] はじめに──二つの問題 一 「老い」とは何か 二 「衰退」としての老い 三 「年功」としての老い 四 「余生」としての老い 五 老いた身体──大野一雄の場合 おわりに──展望 第Ⅲ部 グローバル化する老いのダンスドラマトゥルギー 第8章 老女と少女の物語[やなぎみわ](文責・中島那奈子) はじめに──美術と演劇の並走 一 「マイ・グランドマザーズ」 二 「グランドドーターズ」 三 「フェアリーテール」 四 「ウィンドスウェプト・ウィメン・シリーズ」 五 《関寺小町》の舞踊について 六 日本の老女の表象 七 《日輪の翼》 第9章 日本の神話と儀礼における翁童身体と舞踊[鎌田東二] はじめに──談山神社「談山能」(二〇一四年五月一三日開催)における《翁》と「摩多羅神面」から 一 老いの神性としての「翁」神──『八幡愚童訓』の事例 二 日本の神話と儀礼における「老い」と「若」の表象──霊性の軸としての「翁童」表象~稲荷神・猿田彦神・八幡神 三 翁童身体の原像としてのスサノヲ神とスサノヲの持つ三種の神宝──生太刀・生弓矢・天詔琴 四 「神道」とは何か? 五 世阿弥と禅竹における《翁》の神学と神仏習合舞踊としての「申楽」 おわりに──隔世遺伝としての能と舞踏(Buto) 第10章 老いを巡るダンスドラマトゥルギー[中島那奈子]──ライムント・ホーゲの終わりなき《An Evening with Judy》 はじめに 一 ピナ・バウシュからライムント・ホーゲへ 二 《An Evening with Judy》 三 芸の構造 四 踊りを見る人から踊る人へ──老いを巡るダンスドラマトゥルギー 第11章 大野慶人のレクチャー・パフォーマンス《命の姿》について──「老い」と舞踏はどこで出会う?[國吉和子] はじめに 一 JADE ’93のこと 二 大野慶人 一九六九─一九九九─二〇一五 三 不動と硬直 四 《花と鳥》三様 五 舞踏の芸能化 六 土方巽の「衰弱体」 おわりに 番外編 第12章 旅立ちの日のための「音楽」(ダンスも含む)[外山紀久子] はじめに──老いと死、見えざるもの 一 ミュージック・タナトロジー、ふたつの事例 二 「気」とダンス、踊る主体は誰か 三 老いの身体とダンス おわりに──自己解放(脱植民地化×「和」あるいは祈り) あとがき