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デューイが見た大正期の日本と中国~家族への手紙~

ジョン・デューイ, アリス・チップマン・デューイ  著

エヴリン・デューイ  編
在庫状況 有り  お届け予定日 3~4日 
価格 \2,200(税込)         
発行年月 2024年01月
出版社/提供元
論創社
言語 日本語
媒体 冊子
ページ数/巻数 212p
大きさ 20cm
ジャンル 和書/人文科学/地理学/地誌・紀行
ISBN 9784846023126
商品コード 1037930869
NDC分類 291.09
基本件名 日本-紀行・案内記
本の性格 学術書
新刊案内掲載月 2024年02月3週
商品URLhttps://kw.maruzen.co.jp/ims/itemDetail.html?itmCd=1037930869

著者紹介

ジョン・デューイ(著者):合衆国バーモント州バーリントン市生まれ。父親は食料品販売会社を経営。バーモント大学卒業後、高校教師を数年務める。ジョンズ・ホプキンズ大学院に進み、徹底したヘーゲル主義者として哲学者の道を歩み始める。教育学・心理学の研究を深めるなかで観念論を脱却する。教師として赴任したミシガン大学で1歳年上の学部生アリス・チップマンと出会い、1886年に結婚。同年、哲学科助教授に昇進する。招聘されたシカゴ大学で哲学科と教育学科の主任教授を兼任。実験学校=付属小学校の創設を主導したが、校長アリスの処遇をめぐる対立から妻と共に退職。翌1905年、コロンビア大学哲学科教授に就任。05~06年、アメリカ哲学会会長。19~21年、日本・中国に滞在。第1次大戦後、戦争禁止=違法化運動に参加。24年・28年大統領選挙で第三党候補者を支持。27年、アリス夫人逝去。翌年、ソヴィエト・ロシア教育事情視察団に加わり肯定的な印象記を残すが、体制の官僚化・全体主義への傾斜に疑問を深め、修正した。29年、独立政治行動連盟の初代会長。38年、モスクワ裁判検証・調査委員会の委員長に就任し、レオン・トロツキーの反革命容疑無罪を立証する…
アリス・チップマン・デューイ(著者):ミシガン州フェントンに生まれる。父親は家具製造職人。神学校を卒業し、教員として働いた後、ミシガン大学に入学。1886年にジョンと結婚。家事・育児への全面的協力に支えられて、初等教育の諸課題に実践的に取り組む。教育改革に影響を及ぼしたシカゴ大学教育学部付属小学校の創設と運営に大きな役割を果たした。ジョンに同行して訪れた日本・中国で、高等教育拡大や参政権獲得などフェミニズムの論を展開した。27年、高血圧・動脈硬化症が悪化し、亡くなった。
エヴリン・デューイ(編者):デューイ夫妻の第二子・長女。ニューヨーク市のバーナード・カレッジに在籍中、女性労働組合連盟の活動に参加。1909年にニューヨークの縫製工場で起きたストライキを支援する。卒業後も教育改革などの社会活動に意欲的に取り組んだ。教育改革の主要著作のひとつとされる『明日の学校』(1915)は、父ジョンとエヴリンの共著。34年に結婚(著作・講演活動では旧姓使用を継続した)。

内容

1919(大正8)年1月、コロンビア大学教授デューイはアリス夫人とともに日本へ向けて旅立った。デューイ夫妻からアメリカの家族に宛てて、日本到着直後から8月まで書き継がれた日本発27通・中国発37通の全文を収録。