内容
〈映画とはそもそも宗教的なものである。ここで「そもそも」といったのは、物語のテーマや内容いかんにかかわらず、それ自体において本来的に、という意味である。つまり、映画そのものがある種の宗教性を帯びているということだ。このことはまた、製作と観賞のどちらにも当てはまるし、製作者や観賞者が信仰をもつか否かを問わない。しかも、何か特定の宗教に限られるわけでもない。(…)映画が誕生する直前に、ニーチェは「神の死」を宣告していたのだが(『悦ばしき知識』1882年)、実のところ神はそのときからずっと映画のなかに代わりの棲家を見いだしていたのである〉すでにリュミエール兄弟の『受難(ラ・パシオン)』(1897)に現われるイエス・キリストは、サイレントの時代から現代にいたるまで、さまざまにその姿を変えて、映画史のなかに生きつづけている。イエスの伝記映画(ビオピック)はもとより、聖書を原型とする物語やキャラクター、「受難」「原罪」などのテーマ、「贖い」「裏切り」などのライトモチーフ、宗教画のイコンや構図に由来する表現手法――中世以降の絵画に精通した西洋美術史家の眼を通して作品を見ることで、映画がキリスト教とともにありつづけてきたことを、私たちは改めて知るだろう。さらに、デミル、パゾリーニ、ブレッソン、タルコフスキー、キェシロフスキ、スコセッシ、ゴダール、フォン・トリアー、モレッティはじめ、ここに論じられる作品を生んだ名匠たちが、その創造において、先行する芸術の尽きせぬ泉からいかに学び、技を汲みとって独自の人間像を映し出してきたかも、本書は縦横に語っている。