内容
本書は、アラン・ロブ=グリエのデビュー作から晩年の作品に至るまでの作品構成の変遷とその意味を考察し、ロブ=グリエの作家としての全貌を明らかにすることを試みた世界で初めての研究書である。
アラン・ロブ=グリエは、第二次世界大戦直後、廃墟となったフランスに新風を巻き起こした文芸改革運動ヌーボー・ロマンのオーガナイザーであった。ロブ=グリエは、文学だけでなく、アラン・レネ監督の映画『去年マリエンバートで』の原作者としても有名で、自ら監督した多くの映画作品も残している。しかし、映画を観ればわかるように、小説についても、ロブ=グリエの作品は、始まりも結末もなく難解で、全体が幻想的な雰囲気に満ちている。それは、ロブ=グリエがリアリズムの作品を嫌ったからであり、虚構であるにも関わらず本当らしく語ることを拒んだ結果である。しかし、どんな映画でも小説でも、内容に関わらず本当らしく見せるのが普通であることを考えれば、これほど困難な試みはない。リアリズムを拒否してロブ=グリエはどのようにして作品を制作しようとしたのか、筆者は2000年に発表した『アラン・ロブ=グリエの小説』で、この試みについての技術的な裏付けを行ったが、本書は、その続編にあたる。
本書は、では、なぜロブ=グリエはリアリズムを嫌ったのだろうか、という問いかけから始まる。そこには、ロブ=グリエが青年時代を過ごした戦中、戦後の混乱が影を落としているのだろうか。また、幼少期を過ごしたブルターニュ地方の、フランスの文化とは異質なケルトの文化の中で育った経験が影響を与えているのだろうか。ロブ=グリエの世界観の形成に影響を与えた作品とはどのようなものだったのだろうか。そして、ロブ=グリエが抱いた世界観とは、そもそもどのようなものだったのだろうか。それを、ロブ=グリエはどのように表現したのだろうか。
現代は高度情報化社会だと言われているが、むしろ、情報混迷社会と言った方が良いかもしれない。真偽も定かでない情報が溢れ返って、もはや何を信じれば良いのかわからなくなっている。何か事件が起こると、メディアを通じてありとあらゆる推測がなされ、はじめは仮定の話だったものが、もう翌日には、コメンテーターがその仮定を前提にした話をしたり顔で語り、何が真実か、何が作り話か、わからなくなってしまう。ロブ=グリエの物語も、まさにこのように展開するのであり、まるでロブ=グリエが何十年も前から今の社会を予測していたかのようなのである。
デビュー作『消しゴム』の主人公ワラスは、そのような世界を歩き回って最後には疲れ果ててしまった。では、晩年のロマネスク3部作の主人公ロブ=グリエはどんな世界に辿り着くのだろうか。今を生きるすべての人に、是非ロブ=グリエの物語を読んでほしい。