著者紹介
カロリン・エムケ(著者):ジャーナリスト。1967年生まれ。ロンドン、フランクフルト、ハーヴァードの各大学にて哲学、政治、歴史を専攻。哲学博士。『シュピーゲル』『ツァイト』の記者として、世界各地の紛争地を取材。2014年よりフリージャーナリストとして多方面で活躍。著書に『憎しみに抗って』『なぜならそれは言葉にできるから』『イエスの意味はイエス、それから…』(以上みすず書房)、『Stumme Gewalt(もの言わぬ暴力)』『Wie wir begehren(わたしたちの欲望のあり方)』ほか多数。『メディウム・マガジン』にて2010年年間最優秀ジャーナリストに選ばれたほか、レッシング賞(2015年)、ドイツ図書流通連盟平和賞(2016年)をはじめ受賞多数。
浅井晶子(翻訳):翻訳家。1973年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位認定退学。訳書に、カロリン・エムケ『憎しみに抗って』『なぜならそれは言葉にできるから』『イエスの意味はイエス、それから…』(みすず書房)、イリヤ・トロヤノフ『世界収集家』、パスカル・メルシエ『リスボンへの夜行列車』(以上早川書房)、シュテン・ナドルニー『緩慢の発見』(白水社)、トーマス・マン『トニオ・クレーガー』(光文社古典新訳文庫)、エマヌエル・ベルクマン『トリック』、ローベルト・ゼーターラー『ある一生』(以上新潮社)、ユーディト・タシュラー『国語教師』(集英社)、トーマス・ブルスィヒ『太陽通り ゾンネンアレー』(三修社)ほか多数。
内容
#MeToo運動が起きたことで、いろいろなことが明らかになった。個人的な出来事だとされてきたことが、そうではなかったことがわかった。暴力と見なされていなかったことが暴力だと認識されるようになってきた。
セクハラを受けた側が居場所を失い、声を上げたことで社会の期待を裏切る存在となる。加害者の言うことが信用され、被害者の言うことは思い込みとされる。この論理のすり替えはなぜ起きるのだろう。
著者エムケは系統だって論じるのではなく、つぶやくように、自問自答するように、暴力とそれが見過ごされるメカニズムを掘り下げていく。子供の頃に言われた言葉、職場での出来事、友人の家で起きたこと……違和感とともに記憶の彼方にあった出来事の意味が明らかになっていく。
私たちは、そう思わされているように、無力でも孤立してもいない。暴力を支える仕組みを問い直し、私たちのものの見方、言葉、イメージ、その共有のしかたをひとつひとつ考え、小さな声で世界を変えていく一冊。