内容
湿地は,湿原や泥炭地のみならず,河川や沼,沿岸や水路などおよそ水が存在するところを広くカバーするもので,日本人にとって最も古くから深い関わりのある生態系である。その利用の最たるものは水田と漁業であり,多くの人が“湿地”に描くイメージとは裏腹に,もっとも私たちになじみ深く,そして暮らしや生業と切っても切れない関係にある生態系である。同時に,WWFのLiving Planet Indexによると世界で最も劣化が著しいとされる生態系タイプでもある。 そこで,湿地と私たちとの深い関わりの断面を,多彩なテーマにそってひとつひとつ見つめ,理解することで,湿地を身近に感じ,思いやりをもち,そして賢くこれを利用して恵みを享受し続ける意識と知識を提供できるのではないかと考える。自然を理解するための書物(知)は,従来は深く掘り下げる言わば“縦糸”で紡がれたものであったが,本書の狙いは一見まったく関連性のない分野を,湿地という“横糸”で繋げていくことである。そのためには,理屈ではなく,日常と結びつくリアルな感覚で湿地との関わりを多角的に“再発見”してもらうことが有効であり,ひいては保全への理解と優先度を高めることにも繋がるものとなり,そのことは自然・社会・人文の垣根を超えたポピュラーサイエンスということができると考える。 湿地と関わる46のテーマを「第Ⅰ部 湿地をめぐる自然と地理」,「第Ⅱ部 湿地をめぐる暮らしと産業」,「第Ⅲ部 湿地をめぐる歴史と社会」,「第Ⅳ部 湿地をめぐる地域と文化」の4部構成にまとめた。これらのテーマは湿地が私たちにもたらす恵沢に他ならず,同時に人間が上手に自然と付き合ってきた証でもある。本書が私たち人間にとって欠かせない“湿地”をより身近に感じるための,入口の扉の役割を果たせるのではないかと期待している。加えて,湿地研究の世界的権威である故辻井達一氏の,これまでの社会に対する多大な貢献を讃え,氏の生涯を貫通するメッセージを伝える書物としても多くの人に読んでもらいたい。