暁のアーカイヴ~戦後日本映画の歴史的経験~
中村 秀之 著
著者紹介
内容
目次
序章 アーカイヴの時代に映画を語る 1 「映画のうしろ姿」 2 映画の生,死に臨む生 3 アーカイヴの亡霊 第1部 瓦礫の中から――敗戦と被占領の諸相 I 敗戦後日本のヘテロトピア――映画の中のヤミ市をたずねる 1 映画の中の都市――東京の場合 2 映画の都市表象としてのヤミ市 3 敗戦と時空の歪み――占領期(1940年代後半) 4 女たちの生きる場所――ポスト占領期(1950年代) 5 暴力による秩序――高度経済成長期(1960年代)① 6 敗戦の理念――高度経済成長期(1960年代)② 7 挫かれた復員――「戦後」末期(1970年代初頭) 8 ヤミ市表象の政治的無意識に向けて 後記(2019年)――生存権をめぐる闘い II 出会いそこないの道程――黒澤明とアメリカ 1 監督ジョン・フォードとの不確かな出会い 2 鑑(かがみ)としてのアメリカ映画 3 アメリカ軍とのすれ違い 4 「超越的審級」としてのアメリカ 5 映画の予期されぬ出会い III 占領下アメリカ製教育映画についての覚書――ナトコ(映写機)とCIE映画 1 占領期の教育映画政策の概略 2 ナトコの「受け入れ」の実態 3 CIE教育映画を求めて IV 敗者の映像――CIE映画教育と日本製CIE映画 1 敗者も映像を持った 2 CIE映画教育とそのギャップ 3 日本製CIE映画の多様性 4 日本製CIE映画の曖昧さ 5 敗者のヴィジョン 第2部 共同を求めて――岩波映画から土本典昭へ V 「暁にあう」まで――「岩波映画」と見ることの社会的創造 1 岩波映画製作所と「岩波映画」 2 戦後の短編映画業界と岩波映画製作所 3 「岩波映画」的なものの驚き 4 「岩波映画」的なものの系譜 5 見ることの楽しき知 VI 見えるものから見えないものへ――『社会科教材映画大系』と『はえのいない町』 1 忘れられた教材映画とその映像論 2 見ることの「新教育」――「初期社会科」と『社会科教材映画大系』 3 経験の間接性と視点の他者性――『社会科教材映画大系』 の潜在的な問い 4 見えないものの方へ――作品『はえのいない町』の事例研究 VII 活動とは別の仕方で――土本典昭の作品における映画的身体の生成 1 表象としての「人とカメラとの関係」 2 活動する身体としての協働――土本典昭の初期作品 3 「間接話法」の挫折――『水俣の子は生きている』① 4 活動とは別の仕方で――『水俣の子は生きている』② 5 身体の新たな賦活――『留学生チュア スイ リン』 VIII 声と顔のアレンジメント――『水俣――患者さんとその世界』論 1 声と顔のずれ 2 奈落から立ち上がる声 3 非同期の力 4 漂い出る声たちの交響 第3部 孤独のゆくえ――俳優たちと作家たち IX ゆく者を送るまなざし――高峰秀子と顔の時 1 「戦中派」高峰秀子の撮られなかった顔 2 「作り笑い」が血にまみれる――スターの顔と他者の時 3 「真実の顔」が演じる――俳優の顔と時の終わり 4 「不美人」を創る――作家の顔と回帰する時 X 特攻隊が似合わない男――高倉健の不穏な肉体 1 客分と主人 2 ヒーローとしての鶴田浩二と高倉健 3 特攻隊映画の論理と高倉健 4 「闘争の根元であるところへの攻撃」 XI 外傷の絵/贈与の物語――北野武の映画についての覚書 1 外傷イメージの構造 2 バスター・キートンと北野武 3 物語を生まない贈与 4 絵と物語の拮抗 XII 生命の切れ端――相米慎二の映画における下半身の想像力 1 「主題」としての下半身 2 男性的セクシュアリティの楕円――『翔んだカップル』『風花』 3 男たちと卵の謎――『台風クラブ』から『あ,春』へ 4 女たちと無機物の愛――『魚影の群』/『光る女』 5 人影のダンス――『東京上空いらっしゃいませ』 後記(2019年)――〈相続放棄〉と子どもの身体 終章 喜劇は到来する――森﨑東の映画における反逆の論理 1 悲劇的/喜劇的 2 喜劇ここに始まる(インキピット・コメディア)――罪を負う敗者と脱領土化 3 喜劇的なものの怪物が生まれる――『喜劇 特出しヒモ天国』 4 悲劇的なものの亡霊を異化する――『黒木太郎の愛と冒険』 5 終わりなき反逆 後記(2019年)――有罪性の社会的構築へ Archive at Dawn: Historical Experiences of Postwar Japanese Cinema Hideyuki NAKAMURA