内容
◆百首シリーズ
名句が気軽に読める百句シリーズに夏目漱石が登場!
◆漱石の幸福
専門家や俳人はいざ知らず、一般読者は漱石が俳句も詠んだと聞くと、少々驚くかもしれない。それほどに小説家漱石の偉業は大きく、その評価が今日にも揺るぎない証拠だが、漱石の文学的出発は、間違いなく俳人としてのそれであって、小説家ではない。俳人が表看板の時期は意外に長い。
漱石は東大在学中から、親交のあった正岡子規を通じて俳句に親しみ、明治二二年から「漱石」の号を使いだしている。松山中学の英語教師として赴任する、明治二八年には作句も本格的になり、日清戦争に記者として従軍・帰国した子規を松山の自分の下宿に迎え、句作に専心した。漱石らへの講義が、近代俳句の理論的出発点となる子規の『俳諧大要』にもなっていく。
俳句という小さくて「無作法」な「詩形」こそが、人間の幸福をもたらすのに恰好のもので、これを愛すると告白している。特に『思い出す事など』で盛んに俳句や漢詩を書きつけるのは、多くもらった見舞いに応えるため、作品の名を借りて手紙を返信しているようなものだ、とも書いているのは、象徴的である。そうした「幸福」な時間が、生死を彷徨う大病からの回復の過程で、取り戻されていったことは逆説的でもある。
倒れてからの漱石は、自分の使命と考える小説を書き続けながら、余命の長くないことを覚悟し、俳句に再び戻ってくる。残りの「生」を惜しむように、俳句の世界に遊んだのである。