【MeL】人社系復刻書特集:アティーナ・プレス

【The Woman’s World】

オスカー・ワイルド編集の女性向け月刊誌

The Woman’s World

全2巻

発行:2020年
冊子版ISBN:9784902708837
電子版ISBN:9784863403369

 レディーズ・ワールド(1886年創刊)を改名し1887年11月に新装されたウーマンズ・ワールド。オスカー・ワイルドの編集による2年間(1887年11月から1889年10月)を電子書籍にて刊行。
 文学、美術のみならず各界の女性たちが執筆。「女性の地位」「婦人参政権」「女性の職業」「女性の高等教育」などについての記事が多数収録されており、女性史、ジェンダー研究にとっても第一次資料です。また、服飾関係も充実した内容で、当時のロンドンの流行、子ども服、日本などの外国の服飾、手袋や傘、帽子、靴などの付属品、手芸、服飾産業、衣服製作なども掲載されていて服飾文化研究にとっても貴重な資料となっています。全文テキスト検索可能です!

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The Woman’s World 全2巻(分売不可)

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【The Woman’s World の電子書籍の刊行によせて】

The Woman’s World の電子書籍の刊行によせて
玉井暲(武庫川女子大学教授・大阪大学名誉教授)

オスカー・ワイルドという異色の文学者の単独編集によって刊行された女性向け月刊誌The Woman’s Worldは、このように、文学、芸術から、教育、社会問題、それに女性の服装に至るまで、イギリス世紀末の文化現象のもつ多面性を網羅的にカヴァーする総合雑誌としての性格をもっている。女性だけでなく男性の読者の獲得をも狙った編集者の方針は、今日、男性・女性がともに読んで興味を覚える記事を多数含んでいることからも、一定の成功を収めたといえる。この意味において、The Woman’s Worldは、19世紀末イギリスにおける文学、芸術、文化、思想、歴史、女性問題、ジェンダー表象等の諸問題を総合的に把握・研究するのに最適のジャーナルといえよう。

オスカー・ワイルド編集The Woman’s World(1887年11月号~1889年10月号)、全24号の復刻版が絶版となって久しい。この度、電子書籍として復刊されることは大変喜ばしいかぎりである。ジャーナリズムの観点から、イギリス世紀末の文化現象総体への斬新な研究が拓かれていくことを期待したい。

イギリス19世紀末はジャーナリズムの時代であった。The Fortnightly Review, The Westminster Review, The Nineteenth Centuryなどのメジャーな雑誌のほかに、The Yellow Book, The Savoyなどのリトル・マガジンが隆盛を極めたことがよく知られている。これらの雑誌のなかでも、オスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)が編集主幹を務めた女性向け月刊誌The Woman’s World は、従来はあまり真正面から研究の対象に取り上げられることがなかったのだが、最近ワイルドの文学活動をより広範な文学的・文化的・社会的コンテクストに立って読み直そうとする動きに沿って俄然注目され始めた。ワイルドがThe Woman’s Worldの編集に関わったのは、1887年春から1889年秋にかけてのわずか2年余りの期間であった。

単独の編集者によって刊行される雑誌は、その雑誌に掲載された多種多様な記事を網羅的に通読すると、編集者自身の編集方針も、編集者の個性や交友関係も、そしてその雑誌を取り巻くジャーナリズム界の状況もアクチュアルに、また総合的に把握できて、すこぶる面白い。そこで、この度の企画においては、ワイルドが編集長としてThe Woman’s Worldの編集に当たった2年間の雑誌、第1号から24号までの計24冊(1887年11月号~1889年10月号)に注目して、それらの号だけをひとつにまとめて編集して、2007年に完全復刻することとした。この24冊の雑誌には、編集長オスカー・ワイルドの名前がその各号の表紙に堂々と掲載されている。したがって、本雑誌は、ワイルドの未来のすがた、90年代に入って爆発的に活動を開始する個性的な文学者の片鱗をうかがわせる特異な資料ともなっている。

ワイルドは、編集長としての最終期に入ると編集への情熱を失い最後の数号は惰性的であったと評されているが、それでも各号の表紙には必ずワイルドの名前が編集長として記載され、編集長としての務めを果たしていたことがわかる。しかしこの名前も1889年10月号を最後にして消える。その後、雑誌The Woman’s Worldの刊行は続行されたものの、その命は1年しかもたなかった。

ワイルドの編集長としての活動は極めて意欲的で、かつ野心的ですらあった。1887年5月にCassell社の総支配人WemyssReidから編集を引き受けて以来、ワイルドは自分の周辺にいる著名な文学者・知識人に執筆依頼の手紙を書き続け、特に女性の執筆陣の確保に奔走した。実際、The Woman’s Worldの執筆者は、90%以上が女性である。しかも注目すべきことにほとんど署名入りである。ここには、女性が、文学、芸術についてはいうまでもなく、みずからの地位・立場、女性の高等教育(たとえば、オックスブリッジにおける女子学寮の状況)、女性の職業(教師、医師など)、女性参政権、女性の服装・ファッションなどの問題に新しい関心をもつことを期待する編集者の方針が貫かれている。この革新的で知的な女性読者層をターゲットにした意図は、雑誌のタイトルを、The Lady’s WorldからThe Woman’s Worldに変更した事実からも明らかである。19世紀末のイギリスでは、“New Woman”という新しい言葉の流行に窺われるように、“Woman”は、女性の新しい地位・立場を自覚し是認する姿勢を含意する言葉であったのである。

執筆陣には、Ouida, Arthur Symons, Olive Schreiner, Marie Corelli, Violet Fane などの文学者の他に、女性問題の代表的活動家Lady Fawcett、編集長の母Lady Wilde(アイルランドのかつての愛国主義の詩人スぺランザ、のちロンドンの人気サロンの女主人)、妻Constance Wildeも含まれている。ワイルド自身も健筆を揮った。創刊号から5号にわたって、“Literary and Other Notes”と題するエッセイを発表し、1889年の1月号から6号にわたって“Some Literary Notes”を執筆し、またこの他に2篇のエッセイを寄稿している。これらの13篇からなるエッセイやコラム記事は、そのテーマは主に文学的なトピックを中心としており、ここに、この後に迎える全盛期ワイルドの文学者としての原風景を窺うのは難しくはない。