―先生は、海外の生活が長かったのでしょうか?
5歳から海外で生活していたので、主に英語の本を読んできました。子どものころ、香港にあるイギリス系の学校に通っていたとき、図書室でイギリスの子ども向けの本を読んだのが最初です。
―イギリスの子ども向けの本にはどういうタイトルがありますか?
マザー・グースなどの古典は、歌の時間に覚えたり、授業で先生が読んでくれたりました。
子どものときは大衆文学を読んでいましたね。イーニッド・ブライトンが書いた『ノディ』というおもちゃの国の住人の話などは人気がありました。多作の女性作家で、5歳から12歳くらいまでの読者を想定して、寄宿学校の話なども書いていましたね。『おちゃめなふたご』シリーズとか。
『不思議の国のアリス』などの古典は奨励されますが、よく読んだのは大衆文学の方ですね。昔から本を読むのは好きで、親に「読むのをやめなさい」と怒られるくらいでした。
英語の本だけではなく、家庭では日本語を忘れないように、漢字を学んだりしていて、10歳でオランダに移ったとき、偕成社の『ジュニア版日本文学名作選』を両親がそろえてくれました。難しい漢字は平仮名になっていたりしていましたが、省略せず日本の優れた小説が収録されていて、1巻が『次郎物語』、2巻目が『わんぱく時代』、3巻目は『野菊の墓』、4巻目が『二十四の瞳』、5巻は『路傍の石』でした。当時から凝り性で、第1巻から読み始めて、途中で止めて再開するときもまた1巻から読み始めるので、最初の方は良く覚えています。『坊ちゃん』、『草枕』、『しろばんば』も、わからないなりに読みましたね。さすがに武者小路実篤の『友情』は難しかったですが。
―高校ではイギリス文学を選択したのでしょうか?
イギリスは高校レベルで、3-4科目を選んで授業を受けるようになり、かなり専門化します。私は高校で、イギリス文学、フランス語、数学を選びました。
オースティンは中学生の時から好きでしたね。最初に読んだ『高慢と偏見』が面白くて、他の本も続けて読みました。完成した本は6冊しかないのであっという間に読めてしまうのですが、その代わり繰り返し隅々まで読みました。オースティンの作品は何度読んでも新しい発見があって飽きないんですよね。次に読んでも、こういう展開だったのかという新鮮さがあって、一生読んでいられる本だと思います。
『ジェーン・エア』も感動しましたが、ほっとしたいときはオースティンを読みますね。
―大学は日本の大学に通われたのですね?
もともとイギリスの大学に入学する予定でしたが、偶然帰国したときの日本の夏が明るくて、東京が好きになってしまい、「日本語も勉強したい」と両親を説得して、日本に残ることにしました。入学した国際基督教大学(ICU)では、日本文学を英語で読むという授業があり、大江健三郎や川端康成の作品を英語で読みましたが、そういうアプローチは日本の大学だからできたので、良かったと思います。大江健三郎は英語で読んだ方がわかりやすかったですね。おそらく英訳することで平易な文体になったからだと思います。
―大学のときに研究者の道に進もうと思ったのでしょうか?
大学時代、イギリスに1年間戻って、シェイクスピアや19世紀イギリス文学を勉強しました。就職も考えましたが、文学が好きだったのと指導教官からの勧めもあり、東京大学大学院に進学しました。日本語を勉強しなおしたくて比較文学専攻に所属し、明治文学などの授業をたくさん受けました。日本における西洋の影響など、国と国を単純に比較するのではなく、日本を中心とした海外との関係を専門にされている方が多くて、日本のことを勉強するには良い環境でした。
―論文はどのような内容でしたか?
テーマは「イギリス文学におけるユーモアの概念」でした。イギリスはhumourを意識しているので、その概念がどう誕生し、Englishnessとしてどのように定着していったかを文化史的観点から辿るという内容で、とにかく研究した3年間はhumourが出てくるものは、詩もエッセイも演劇も読み漁ったんですね。このときの読書体験は大変役に立っています。
―先生の著作を読むと、映画や舞台など、小説以外のトピックも出てくるので、親しみやすいです。本以外の映画やドラマの情報はどのように入手されていますか?
雑誌が中心ですね。ひとつはSpectator。この雑誌のターゲット層はupper middle class以上、政治的には保守派です。本や映画の批評、テレビ番組の紹介も載っていますが、イギリスのトラディショナルな観点から見ているので、今のイギリスを知る一つの切り口として、参考になります。もう一つはTimes Literary Supplement。本の書評や映画批評も、こちらの方がアカデミックな内容です。
雑誌を参考に本だけでなく、DVDを買ったりします。Downtown Abbeyもそうで、大きな家の年代記で使用人がたくさん出てくるのですが、シリーズ2まで製作されたドラマです。本も入手しやすくなりましたし、DVDもリージョン・フリーの再生機があればリアルタイムで観ることができるので、便利です。
Downtown Abbeyは第一次世界大戦前後から1920年くらいまでの話です。第一次世界大戦で世界が変わると言われましたが、実際は使用人が結構戻ってきました。ただ第二次世界大戦でservantはいなくなり、一部のセレブや王室に執事などがいるくらいです。ナニーなど忙しい人のためのサービスは今でもありますが、当時のように労働者階級の人が働き始め、使用人として偉くなっていくという制度はありません。より専門的になって、その道のプロになっていくか、あるいはポーランド系など移民が就くことが増えてきています。
イギリスの階級は興味深いですが、upper middleやlower middleなど、日本ではイメージするのが難しいです。
一番ぱっとわかるのは話し方、アクセントです。テレビ番組でも意識して使われています。
Upper middle class以上は、昔Queen’s Englishと言われたRP(Received Pronunciation)を話します。これは、教育を受けた人のアクセントで信頼できるとされています。詐欺師がRPを使って身分をだますというドラマ設定もあるくらいです。
アクセントはそう簡単に変えられるものではなく、日本ですと、いくら真似してもその土地の人には違う土地の出身だと言葉からわかるような感覚に、似ているかもしれません。RPを急に話そうとしても難しいので、顔つきや服装よりわかりやすいと言えます。
―小学校の先生はRPを話すなどの縛りはあるのでしょうか?
小学校によりますね。もともと「教育を受ける」=「階級が上」という時代では、educated accentが上流階級のアクセントでした。一番なまりが強いのは労働者階級ですが、主人階級が聞き取れないと支障をきたすので、徐々に緩和されていき、執事やハウスキーパーなど偉くなって主人と接する機会が増えていくと、なまりは残るが聞き取れるようになっていきます。
完全なRPか、少しアクセントを残すレベルかは、地域によって違うと思います。昔、BBCは完全なRPでしたが、今はその地域のアクセントがあって、全国でも聞き取れるくらいのアクセントになっています。
―よくアメリカ人俳優がイギリス人を演じられるのか?という議論がありますが、これもアクセントの問題でしょうか?
そうですね、『ブリジット・ジョーンズの日記』で主人公を演じたレニー・ゼルウィガーはテキサス出身ですが、ブリジット・ジョーンズはmiddle-middle classで、コリン・ファースが演じる役とも違います。このためにトレーニングして身につけたと思いますよ。
「アクターズ・スタジオ」というトークショーで、ゲストに呼ばれたコリン・ファースがその話をしていました。レニーは撮影中、休憩時間もブリジット・ジョーンズのアクセントだったそうです。撮影が終わってテキサス英語を話すレニーを見て、別人かと思った、と話していました。アクセントは人格にも影響を与えるので、面白いと思います。
―『マイ・フェア・レディ』で、アクセントを直したとしても、その後の人生はどうなるという場面がありましたが、アクセントを変えると、生活にも影響が出てくるのでしょうか?
アクセントだけ直して人と話しても妙な感じですよね。『マイ・フェア・レディ』でも、最初競馬場に行ったとき、発音はupper classなのに内容がめちゃくちゃという場面がありました。バーナード・ショーは『Pygmalion』で、上流階級は発音で人を判断して、中身は二の次だというのを皮肉ってもいます。会話の内容も洗練されて舞踏会で成功しても、その後、アイデンティティはそこにはないので悩むという展開。子どものときはわかりませんでしたが、今見ると理解できますね。
―先生は参考文献が多いですが、資料はどのように見つけますか?
普段は小説を読むことが多いですが、イギリスには階級の要素がない本はないくらいです。何でも選べる分、何を選ぶか取捨選択が大変なトピックと言えます。メモしたり、他の人の参考文献を当たったり、手当たり次第読んでいるとヒントが出てきます。
アガサ・クリスティの作品にも使用人がたくさん出てきます。彼女が活躍した時代は、実際に使用人を雇っていましたし、身近な存在だったこともあります。
―小説は、紙媒体で読みますか?
筋を追うだけであればeBookでも良いでしょうが、研究には「版」が問題になる場合があるので、電子ではなく紙媒体を使います。オースティンの作品も、初版の間違いを直したり、編者で意見が違ったりするので、現物を見て判断する必要があります。どの版から引用されているかが大事になってきます。
―先生が一番ご関心あるのは、やはり19世紀でしょうか?
19世紀以降に興味がありますが、そうですね、特にヴィクトリア朝には高校生くらいから興味があります。社会規範に厳しい時代で、今の感覚とは全く違いますが、一方で、様々なイギリスの基礎ができたというミスマッチが面白いです。当時と、20世紀以降の道徳観の変化に興味があります。
イギリスの郵便制度やクリスマスの慣習、さらにはRPで階級を理解するのが定着したり、パブリック・スクールの制度が今の形になったのも、ヴィクトリア朝から始まりました。時代が長かったこともありますが、イギリスの基礎となっているのは面白いと思います。
―今後、注目したいトピックはありますか?
多文化国家としてのイギリス、白人ではないイギリスの文化・文学史に注目したいと思っています。あと前からずっと研究しているのは「郊外」ですね。Lower-middle classが住んでいた郊外の文化史。これは、イギリスだけではなく、アメリカ、オーストラリア、日本などの事例もふまえて長期的に研究していきたいと思っています。
それから、パブリック・スクールについての企画が始まったばかりです。パブリック・スクールがイギリスの文化や文学でどのように表象されているかという内容です。11歳から18歳まで通い、昔からあるのですが上流階級が通うイメージが定着したのは18-19世紀です。「入るときからみんなが紳士ではないが、出るときはみんな紳士である」という有名な言葉もありますね。
上級生に下級生が付いて雑用をする、faggingという制度は、ほとんどの学校で廃止していると思いますが、もともとはいじめ防止のための制度でした。また、同性愛的な側面は多かったようです。作家は繊細なのでパブリック・スクールにいた作家は、母校が嫌いな人が多く、サマセット・モームなど作品であまり良く書いていない場合があります。だから悪いイメージがあるのかもしれないですね。
基本は全寮制で、『ハリー・ポッター』のような寮対抗のいろんな競技は実際に行われています。『ハリー・ポッター』も、先ほど話したブライトンの寄宿学校の話の影響を受けていますが、今、寄宿学校といえば『ハリー・ポッター』のイメージが強いですね。
―新しい著作も楽しみです。本日はありがとうございました。