共生のプラクシス~国家と宗教~ 増補新装版
中島 隆博 著
著者紹介
内容
目次
プロローグ 他者たちへの想像力 第I部 原初的な共同性をめぐる思考 第1章 小人がもし閒居しなければ──朱熹の思想 1 中国思想における公共空間 2 「小人閒居して不善をなす」 3 悪の場所 4 君子の「独」と小人の「独」──「他者を予想する境地」にいる小人 5 「誠意」という関門──小人の間の分割 6 自ら欺く──君子の場合 7 自ら欺く──小人の場合 8 「半知半不知」 9 君子は小人である──巨悪について 10 王船山の批判と他人の存在 第2章 小人たちの公共空間──明代の思想 1 小人の君子化と「知」から「良知」への移行──王陽明 2 「無善無悪」と「信」──王龍渓、銭徳洪 3 「愚夫愚婦」の「公論」──繆昌期 4 代理=代表の空間──黄宗羲 5 小人の朋党──欧陽脩、高攀龍 6 渦巻きの共同性 インタールード1 他者たちを再び結びつける地平──ジャック・デリダの思考 1 「絶対的起源の根源的差異」──デリダとレヴィナス 2 「超越論的歴史性」と〈超越〉 3 時間の超越論的エコノミー 4 返済なき贈与──『時間を与える』 5 犠牲のエコノミー、エコノミーの犠牲──『死を与える』 6 涙を流す瞬間──『盲者の記憶』 7 正義の時間──「複数の純粋な特異性を再び結びつけるだろう」 第II部 他者を再定義する仏教のラディカリズム 第3章 魂を異にするものへの態度──明末の仏教とキリスト教 1 「殺生は人のなすことではない」──雲棲袾宏の「戒殺生」 2 「殺生を戒める道理などない」──マテオ・リッチによる批判 a 魂を異にするもの──人間と動物の差異 b 魂のダブル・スタンダード──他人との差異 c 他なる人間中心主義と倫理 d 「仁の模範」と魂のエコノミー e 肉を喰らうこととその抑制 3 〈食べること〉の肯定──李贄と戴震 4 〈美味しく食べること〉から〈殺すこと〉へ 5 殺生は断じて行うべきではない 6 「忍びざる心」を理解し直 第4章 強死せし者と死体の方へ──六朝期の仏教と儒教 1 神滅不滅論争──范縝、蕭琛、曹思文 a 范縝の形神相即論 b 仏教徒の批判 2 死者と死体 a 木と人、死者と生者 b 死体に変じる c 死神 d 余分な死体 3 神の複数性と他者との交わり a 神の複数性と一性 b 沈約の批判──神の名 c 二つの心──心器をめぐって d 思慮は他の部分にもやどるのか e 他人の心との交渉 4 人間の間の区別──形神相即論を超えたイデア的器官 5 人間の間の区別を破る──自然なる世界 a 神滅の効用 b 自然は性による人間の間の区別を破る 6 強死せし者 a 経書に記載された祭祀と鬼神 b 蕭琛の批判 c 曹思文の批判 d 強死の回避──「自然」と「独化」の死/他者との関係における死 7 マン-メイド・マス・デス(人の手による大量死) 第5章 死者を遇する〈倫理〉──仏教と生命倫理 1 現代における生命倫理と仏教 2 「自然」と「道徳」 3 捨身・布施──臓器移植を容認する仏教的言説 4 自己決定 5 「死の作法」、道徳化からの切断──臓器移植に対抗する仏教的言説 6 死の時間─神滅不滅論争の争点 7 臓器移植とカニバリズム 8 動物を殺してはならない──「戒殺生」の争点 9 死者を死者として遇すること 10 仏教のラディカリズム インタールード2 他のものになることの倫理――ジル・ドゥルーズと中国 1 生成変化――『千のプラトー』 a 近傍と此性の構成――全く違った個体化の様態、そして世界 b 他の近傍もまた変化する 2 独立した個体の間の反自然的な予定調和 a 反自然的な共感の統合――『経験論と主体性』 b この同じ世界――『襞』 3 壁を通り抜ける技法――ドゥルーズにとっての中国 a 抽象線に自らを切りつめる b 欲望を整序するものとしての中国 4 他なるものに化すこと――『荘子』胡蝶の夢 a 胡蝶の夢――他者の立場に立つことはできない b 能動性を欠いた肯定による非倫理 5 内在の倫理 第III部 共生の思想としての儒教の方位 第6章 儒教の近代化の行方――中国の新儒家 1 現代新儒家の背景 2 新儒家の定義 a 宗教的であること b 文化と哲学 c 正統と合法――「道統」について d 新しい「外王」と「中体西用論」の後裔 3 最後の儒家か、最後の仏家か――梁漱溟 a 『東西文化およびその哲学』――─仏家から儒家へ転向したのか b 「最後の仏家」 c 梁漱溟と熊十力(一)――「熊十力は儒家に、わたしは仏家に帰属するべきである」 4 仏教から儒家思想へ――熊十力 a 『新唯識論』と「境識同体不離」 b 儒家思想の導入――『原儒』、『乾坤衍』 c 梁漱溟と熊十力(二)――「内聖外王の学」の失敗 5 仏教の再導入――牟宗三 a 熊十力との出会い、梁漱溟との距離 b 熊十力と梁漱溟の間で――「新外王」と「曲通」の道 c 牟宗三のプログラムと「自覚的な自己否定」 d 神妙なる融即――「一心開二門」から「天台円教」へ 6 哲学化された仏教とそれを超えるもの 第7章 国家のレジティマシーと儒教――現代中国の儒教復興 1 国家のレジティマシー 2 儒教をどう捉えるのか 3 Civil Religionの系譜学(一)――ジャン=ジャック・ルソー 4 Civil Religionの系譜学(二)――─ロバート・ベラー 5 儒教と犠牲の論理 6 考えるべき論点 第8章 「批判儒教」のために――近代中国・日本における儒教復興 1 二つの世俗化概念―― secularizationとlaicization 2 儒教は宗教なのか(一)――清末から文化大革命まで 3 儒教は宗教なのか(二)――改革開放以後 4 近代日本における宗教と道徳 5 人倫の道としての儒教――和辻哲郎 6 孔子教と哲学的宗教性――服部宇之吉 7 徳教としての儒教――井上哲次郎 8 戦前日本における市民宗教の政治的意味 9 来るべき「批判儒教」 第IV部 市民に息づく宗教性 第9章 儒教、近代、市民的スピリチュアリティ 1 儒教復興 2 近代と儒教 3 台北孔廟 4 原理主義的な儒家国教論と自由主義者のキリスト教的立憲政治論 5 台湾と共和国の伝統 6 長春と市民的スピリチュアリティ おわりに 第10章 世紀の交の霊魂論――中江兆民、井上円了、南方熊楠 はじめに 1 中江兆民の霊魂論 2 井上円了の霊魂論 3 南方熊楠の霊魂論 4 熊楠と兆民、円了の交差 5 熊楠霊魂論の政治性 6 熊楠のエコロジー 7 哲学などは古人の糟粕 第11章 ポスト世俗化の時代における市民社会 はじめに 1 重なり合う合意――チャールズ・テイラー 2 世俗的理性と宗教的理性の間の翻訳――ユルゲン・ハーバーマス 3 ポスト- デュルケーム的体制 4 今日におけるマテオ・リッチ 5 ローカルな宗教性 おわりに エピローグ 共生のプラクシス あとがき 増補新装版へのあとがき
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