日本経済史・経営史:研究者のひろば コラム

異端の試み

第1回(2) 帝国主義の経済構造について(1)*

武田晴人

第1回(1)はじめに/背景としてのファシズム論・国家論
 (2)帝国主義段階研究前史/帝国主義侵略と経済的内実
 (3)綿業帝国主義論
 (4)β型帝国主義論とその批判

帝国主義段階研究前史

 山崎隆三さんのβ型帝国主義論は、世界編成を議論する限りで「β型」という捉え方にウエイトがあり、段階的な認識という点では、帝国主義段階を論ずるというよりは、帝国主義イコール侵略と捉えたうえで、十五年戦争の必然性を説き、その限りで段階的な認識を示すというものであることは、議論の前提として理解しておく必要があります。

 このような注釈をするのは、この議論がそれまでの段階的な把握との継承性が明確ではないからです。日本経済史の研究では、それまでも帝国主義概念などを用いて段階的な変化が論じられていました。「帝国主義」という言葉が段階を画する重要なキーワードであることについては歴史研究者も日本経済史研究者も共通の基盤がありました。しかし、それをどう適用して段階をどう区分するかに関して議論が分かれていました。そこで本題に入る前に、それまでの経済史研究において帝国主義段階への移行をどう考えていたのかを話しておきましょう。

 初期の一番素朴な議論は、帝国主義イコール対外侵略と捉えるものでした。この議論では、帝国主義の成立をかなり早い時期に考える可能性があります。1950年代の終わりから60年代くらいにかけてそういう議論が展開するのですが、日露戦争が帝国主義的侵略戦争であったことに対してはあまり異論がありませんでした。問題は、それでは日清戦争はどう評価するかということになりますが、この点では議論が分かれました。朝鮮半島をめぐる侵略戦争だと評価する人たちがいる一方で、帝国主義候補国の争いであって敗者は半植民地化し、勝者は帝国主義国になる岐路になった出来事と位置づける主張もあった。仮に侵略=帝国主義だという立場から、日清戦争を侵略戦争と認めると、この時に日本は帝国主義化したことになる。それではその前の何度かの軍事進出はどうか。たとえば、1875年の江華島事件はどうか、あるいは74年の台湾出兵はどうかということにもなりますが、侵略戦争から帝国主義を論じるのは、このような難しさを伴います。まだ近代化も工業化も進んでいない国を帝国主義国として捉えることには躊躇せざるを得ないからです。すでに指摘したように植民地の領有は帝国主義時代に固有のものではないというのは、世界史の常識ですから、日本についても同じことだと思います。しかし、歴史家たちはどうしても戦争に対する視点が非常に強く、帝国主義=侵略という図式の議論をするものも少なくはありませんでした。

 しかし、経済史の研究では「帝国主義=独占資本主義」という時期区分の捉え方が大勢であったと考えてよいでしょう。史的唯物論が有力でしたし、それに基づくと経済過程が政治構造などを規定すると考えられていました。経済史による時期区分に従って帝国主義という政治経済的な特徴を捉えていましたから、歴史研究者もこれを尊重していました。この捉え方を私は宇野弘蔵の三段階論を通して学びましたが、その理論的な基礎になっているのは、ヒルファディングの『金融資本論』とか、レーニンの『資本主義の最高段階としての帝国主義』(以下単に『帝国主義』)などのマルクス経済学者にとってみれば古典の中で出てくる資本主義の段階的変化についての認識です。

帝国主義という言葉が人口に膾炙するようになるのは、ホブソンの『帝国主義論』からだと言われていますが、そこでは植民地支配や対外侵略イコール帝国主義と考えています。これに対して、マルクス経済学、あるいは史的唯物論の立場にたつ人々は、歴史学派の考え方をとりいれて資本主義の発展段階の一つとして帝国主義を改めて定義し直し、侵略一般ではなくて、「資本主義の最高の発展段階としての帝国主義」と捉えたのです。

 必ず参照されたのはレーニンの『帝国主義』ですが、そこでは帝国主義について5つの指標があげられています。それらの中には、世界分割とか植民地領有とかの問題も含まれますが、経済学的認識としてより重要なのは、産業部門における独占の形成と、その独占の形成を前提にした銀行資本と産業資本の癒着による金融資本の形成を重視したことです。この金融資本概念はヒルファディングの業績を継承したものです。

 経済的な構造の段階的な変化が植民地支配や侵略戦争を必然化するようなメカニズムを生むと考え、そのような構造にどこかで変わっているはずだから、その変化を捉えて帝国主義段階への移行を論ずる、これがレーニンによって明確化された段階的な把握なのです。この問題提起は、傾聴に値するものだと思います。しかし、そこから先の実証に向かう人たちの論理が逆転してしまうのです。

 このフレーム・ワークに一応のっていると思われている議論のなかで、たとえば日清戦争=帝国主義戦争論を主張する論者は、大日本紡績連合会という同業組織ができて、操業短縮によって在庫の調整や間接的な価格規制をしているのはまさに独占の成立を意味するから十分な根拠がある主張しました。だから、日清戦争期には、日本はすでに独占資本主義に移行しており、従って日清戦争も帝国主義戦争だ、というわけです。

 これに対する批判は、紡績業における紡連の活動だけをとりあげて独占資本主義というのはいかにも根拠が弱すぎるというものです。今までのところ、日清戦争は国民戦争であり、国民国家が成立してくる過程での戦争とみなし、日露戦争が帝国主義戦争と評価するのが通説化しています。

 しかし、日露戦争が帝国主義的な侵略戦争だと特徴づけられるとしても、帝国主義=独占というロジックからみると、侵略戦争はしているけれど、帝国主義という特徴づけるべき経済的な内実があるのかという疑問は残る。そういう論理的なずれを認めざるをえないのです。この点は、産業革命期の実証研究が積み重なっていくことによって、はっきりとしてきたことです。もともとこの種の議論では戦争という歴史的事実を侵略と言わざるを得ない。だとすれば、そこにはそれを必然化する経済的な問題があると考えている面があり、「理論的なモデル」が当てはめられているだけなのです。シェーマティシュな捉え方に問題があるというべきかも知れませんが、そうした形でこの議論に乗らないとしても、資本主義の発展段階を捉えるという方法的な課題は残ってしまいます。段階的な構造変化を認めない単調な経済成長論に立つのであれば別ですが、私は、段階的な変化を考える方が歴史的な認識としては適切だと考えています。研究史の大勢は、この方向で進んでいました。

帝国主義侵略と経済的内実

 侵略の開始という事実と、帝国主義と規定できるような経済構造の内実の未熟さというずれを、多くの人たちはどう整合的に説明するかに苦労していたのです。この点について、研究史上で一応の結論が出たのは、石井寛治さんの『日本経済史』だと思います。石井さんは、対外的な侵略の問題と国内の経済構造には乖離があるということを一応認めた上で、日本の場合には後進国だから対外的な対立関係から帝国主義的な行動をとったとしても、その経済的内実が備わっていない可能性がある、内実は遅れて形成されるという捉え方を提示したのです。この考え方に沿って、次の問題は、それでは日本における帝国主義的な経済構造の内実形成をどのように説明、理解したらよいかと議論が展開することになりました。

 ただ、この議論は問題をはらんでいました。どういうことかというと、帝国主義を仮に対外関係の問題からまずは考え、独占資本主義をその経済的な内実だと石井さんのように考えると、日本帝国主義がいつ成立したかという時期区分の問題に一義的には解答できない可能性がある。つまり、経済史研究では、独占確立の時期について、1918年確立説、27年確立説、30年代確立説がありますが、これと侵略=植民地支配という指標からみた帝国主義成立とは時期がずれてしまう。別の問題の立て方でいえば、独占が確立すると、すでに成立している「帝国主義」はどう変わるのか、変わらないのか、こういう問題についての説明が用意されていない。すでに対外的には帝国主義になっているから、時期区分は侵略の方で確定しているというのでは、結局のところ経済構造の変化は、時期区分に関しては付随的な論点ということになる。それで良いのかということになります。

 この説明の仕方は、日本は日露戦争を契機にすでに帝国主義になっている、その証拠探しをするというのと似たような論理になってしまうのです。これでは歴史認識としては十分ではなく、むしろシェーマに添ってそれに合う事実を探して、予め想定されている結論に達するのと区別がつかないような気がしていました。

 もともとの出発点は帝国主義という言葉を、経済的な発展段階を示す概念として使うということですから、このままでは問題があります。その結果、帝国主義と独占資本主義を明確に分けるとともに、段階的な変化を示す概念としては「帝国主義」を放棄するというのが、1970年代の経済史研究ではいずれかと言えば有力な議論になっていきました。分けたということは実は帝国主義を独占資本主義と言い換えてその言葉の中に問題を封じ込めたということです。この時期の代表的な著作のなかで、たとえば高村直助さんや石井寛治さんは、帝国主義段階とか、帝国主義という概念・言葉を積極的に使うことをさけるようになった。この高村説や石井説では帝国主義という言葉をもっぱら政治世界の世界編成とか、侵略の問題などに限定して使い、経済的な発展段階を認識する、あるいは表現する言葉としては、「独占資本主義」を使うというものです。

石井さんは、1970年に出版された永原慶二編『日本経済史』(有斐閣)という教科書では「独占資本主義の確立」を論じている。そこでは、発展段階というか、資本主義の段階区分としての帝国主義を使っていない。高村さんの岩波講座日本歴史の論文(1975年)もタイトルは「独占資本主義の確立と中小企業」(後に同氏『日本資本主義史論』(ミネルヴァ書房、1980年に収録)です。70年代には独占資本主義論が主流だったといってもよい。もともとは帝国主義論争だが、経済史の領域のなかで議論を詰めていけば詰めていくほど、「帝国主義」を使わない方が日本経済の実態を論ずるうえではより有効で明確な分析ができるだろうという方向に進んでいた。これが1970年代のひとつの到達点です。

 ところがこれに対して、もう一回、やっぱり帝国主義だ、しかも侵略が問題だという、ある意味では出発点に戻るような問題提起にみえたのが、1980年前後に登場する「綿業帝国主義論」や「β型帝国主義論」です。そこでは改めて経済構造の法から侵略まで視野に入れながら説明が提起されました。

第1回(1)はじめに/背景としてのファシズム論・国家論
 (2)帝国主義段階研究前史/帝国主義侵略と経済的内実
 (3)綿業帝国主義論
 (4)β型帝国主義論とその批判