日本経済史・経営史:研究者のひろば コラム

鈴木商店と横浜正金銀行

第1回 もう一つの大連事件

武田晴人

第1回(1)

急成長する鈴木商店

 横浜正金銀行(以下、「正金銀行」と略すことがあります)の取引先に関する調査報告によると、正金銀行の対鈴木商店債権残高は、1914年末に467万円、15年9月末に386万円でしたが、16年末には1336万円、「大正六年頃から海外各地に於ける同店出張所の活躍が始まつて以来は漸次本行各店との取引額も増大するに至り」、17年3月末には3361万円(内信用取引1287万円)の巨額に達したと、資料⑤がまとめています。

 急成長を遂げる鈴木商店に対して、横浜正金銀行が「大得意先取引」として毎月残高報告を徴収するようになったのは、1913年11月末のことです。この「大得意先取引毎月残高報告」をこの当時徴収していたのは、三井、大倉、野沢組、湯浅、兼松の5社であり、鈴木商店はこれに次ぐものでした。横浜正金銀行では、このように「大得意先取引」とか「特殊取引先」などの表現を用いながら特定の取引先については、その実態を逐時モニターする体制をとっています。残念ながらこのモニタリングに関連する資料は関東大震災後についてしか残っていないようです。

株主からの告発文

 モニターするといっても、銀行がどこまで取引相手の実態を把握できていたのかは疑わしいようです。この疑いが現実味を帯びていると感じることのできる出来事が、1918年5月15日に横浜正金銀行宛に届いた次のような告発です(資料①より)。

◎大連鈴木特産買巨損ノ密告

 鈴木某ガ今度大連デ大豆ト大豆粕ヲ買占テ値段釣上策シテ居ガ、内地商人ハ唯モ買ウモノ無イノデ売(抜)ケルコトガ出来ナイノデ困居ル、売出ストスレバ壱枚壱円ハ下落スルノデ豆粕斗デモ六百万円ハ損ガユク、大豆ハ髙直カラ壱石五円下ゲデ先ツ弐百万円カラノ損害且豆粕ハ倉入レスレバ品痛デ尚損害ガ重クナル訳デ、総支配人モ大心痛今整理スレバ某銀行ハ大迷惑デ千万円モ損害其重役ハ知ラヌカ何デモ大連支店支配人ガ鈴木ト運命ヲ共ニシテ居ル由、カカルコトガ並通ノ銀行ナレバ早クカラ北浜銀行サワギノ様ナモノデ[アツ]タガ株主トシテハ大ニ重役ニ御注告申上ル、何デモ大連支店ノ如キハ貸金引揚ケルハ絶対ニ出来難ク益々深味ニ入ル由、今ノ内ニ見切ヲ付ケテハ如何、三井三菱外関西大銀行ハ鈴木ニハ壱万円手形ノ割引セヌ由大ニ注意ヲ要スルナラン[( )内は引用者の補筆]

   五月十五日 正金株主

  正金銀行頭取殿

 鈴木商店大連支店が大豆・大豆粕の思惑取引で推定1000万円という巨額の損失を抱えていることを指摘した文書の発信者は「正金株主」という以外には判明しません。

 事件の性格は、戦後ブームから1920年恐慌期に発生した古河商事の大連事件と類似しています。時期の前後関係から推測すると、古河商事の破綻は、鈴木商店などを含む大連での大豆・豆粕取引に関わる投機的な取引が1917~18年頃には発生していたこと、そして1918年後半から取引を活発化する古河商事はこれに対する新参者として、第二の大連事件を引き起こし、投機取引破綻のツケを最後に引き受けることになったということではないかと思います。なお、古河商事については、武田晴人「古河商事と大連事件」『社会科学研究』32巻2号、1980年を参照してください。

 この告発を受けて正金銀行本店が調査したところ、大連支店では、「大連ノ計算デモ担保切レハ金七十二万円デ、同部ガ時価計算デハ百五十九万円ノ不足ナリ、而モ之ハ市価一杯デアルカラ通常ノ通リ二割ノ鞘ヲ見レバ不足ハ更ニ増大スルコト」が判明しました。計算方法を正しく改めた翌月からの報告では、無担保貸しが激増しますから、支店からの報告はそれまで取引実態を反映していなかったことが明らかになります。

 この事件をきっかけに正金銀行は、鈴木商店との取引を見直し、信用取引限度を支店ごとに定め、これを遵守するように求めることになりました。

神戸支店の弁明

 正金銀行の神戸支店が、鈴木商店への無担保貸しが急増している事情について本店に説明しているのが、次の書信です。

神戸支店来信 大正七年五月二十四日

一、本年二月末日ニ於ケル重ナル得意先トノ信用取引高ハ

   三井   四七、五〇〇千円

   横浜生糸 一一、七〇〇〃

   増田貿易  八、四五〇〃

   大倉    八、〇〇〇〃

   日本棉花  七、八〇〇〃

   茂木    六、四五〇〃

   湯浅    五、四〇〇〃

 デアルカラ、鈴木ノ資産ノ数字ハ何人ニモ不明デハアルガ、内輪ニ見積ツテ裕ニ五千万円ヲ算スベシトハ消息通ノ首肯スル処デアリ、単ニ同店活動範囲及程度ノミカラ見レバ当行ノ信用取引ガ千三、四百万円ニ上ツテモ前記ニ比シ左迄突飛トハ云ハレマイ。

二、唯其関係事業ガ余リニ多岐デ、余リニ多クノ銀行ヲ利用セルコト、経営ガ金子直吉氏ノミニ依リ主宰セラレ、而モ何人ニモ其資産、負債ノ実情ヲ示サヌコトハ同店ニ十二分ノ信用ヲ与エ難イ処デアル。

三、(略す)。

四、同関係事業ハ多岐デアルガ、神戸製鋼所、播磨船渠、大里製粉、日本麦酒ヲ始メ有利ナルモノモ多ク、各事業共順調ニ進行中デアルカラ一朝戦乱終了後モ俄ニ大打撃ヲ蒙ル憂ハ万アルマイ。

五、(略す)。

 神戸支店は、三井物産などに対する信用取引などと比較しながら鈴木商店に対する信用貸しの現状を「突飛トハ云ハレマイ」と説明しています。三井との取引が三井銀行の連帯保証が付いていたことなどを考えれば、この評価には疑問があります。要するに、神戸支店の判断は「一朝戦乱終了後モ俄ニ大打撃ヲ蒙ル憂ハ万アルマイ」との表現からもうかがえるように、楽観的なものでした。神戸支店にとって鈴木商店は最大の顧客であり、鈴木商店との関係悪化を懸念しています。そのため、このような鈴木商店に対する甘い評価をその後も続けることになりました。これが正金銀行の対鈴木商店債権の回収に大きな制約になりました。

 これに関連して興味深いのは、神戸支店や大連支店が鈴木商店との取引関係に前のめりになっていることについて、本店では次のような指示を送ったことです。取り上げているのは大連支店宛の書信です。

大正七年八月二十六日   総第八六号

                    総務部  鈴木、中村

 大連支店支配人 御中

拝啓 陳者貴店対鈴木商店信用取引中自家保管商品ニ対スルモノ月毎ニ増加致居同社現状ニ照シ甚ダ面白カラズト存申候間精々減額致候様可被成、右自家保管ニ対シテハ如何ナル手続ヲ被成居候ヤ、万一ノ場合ニ合法ニ之ヲ差押ヘ得ル様相成居候得者差支ナキ、左無キニ於テハ同社ニ対シ殆ンド無限ニ此種取引ヲナス事ハ好マシカラズ、其為貴店業務ノ衰微ヲ招クモ不得止次第ナルニ付引締可被成、貴店ニ期待スル処ハ少数ナル得意ニ多額ノ信用取引ヲナスニアラズシテ多数ノ得意ヲ吸収シテ一般公衆ノ金融機関トナラン事ニ有之、如現状鈴木一家ニ千万以上ノ信用取引ヲナスガ如キハ忌ムベキ事ト御承知相成度、若シ先方ニ於テ是非多額ノ信用取引ヲ得ントスルナレバ担保ヲ提供スルナリ又自家保管ノ形式ナレバ夫レニテモ可ナルガ、万一ノ場合何時ニテモ優先差押出来候様ノ手続ヲナシタル上ニテ取引致度存候、御承知同社ノ資産ハ各種ノ事業ニ固定シ各方面ヨリ借リ得ル丈ケ借金ヲナシ遣繰リ致居候事故一朝蹉跌ヲ来シ候時ハ回収困難ナルハ疑無ク、其暁ニ至リ巨額ノ債権ヲ有シ世間ノ笑草ト相成候事不本意ナルハ勿論当行ノ如キ一般貿易業者ノ公共機関タル職責ニ照シ申訳ナキ事ト存申候、目下同社ト信用極度協定進行中ナルガ貴店ノ与ヘツヽアル現在残髙ハ此協定ニ際シ当行ノ立場ヲ不利ナラサムル恐アルニ付自家保管品ヲ確実ナル担保ト見倣シ与フ様手続改正相成度、若シ此事不可能ナレバ乍遺憾大ニ其髙ヲ減ジテ安全ヲ謀ルノ外無之ト存居候

右当用得貴意候也

 要するに、本店では大連支店が鈴木商店との取引に巨額の資金をあてていることを問題視し、「貴店ニ期待スル処ハ少数ナル得意ニ多額ノ信用取引ヲナスニアラズシテ多数ノ得意ヲ吸収シテ一般公衆ノ金融機関トナラン事ニ有之」と方針転換を迫ったのです。ただし、このような本店の態度も、徹底したものではなかったことは、これから追々明らかになっていきます。

第1回(1)