日本経済史・経営史:研究者のひろば コラム

鈴木商店と横浜正金銀行

第6回 援助ハ他ニ之ヲ為ス銀行ガ存在スルヲ以テ

武田晴人

第6回(1)

厳しい回収

 政府・日本銀行の台湾銀行に対する救済方針を睨みながら、横浜正金銀行は1923年末にまとまった整理案に従って、資金の回収に努めることになりますが、その実行は困難を極めたようです。

 1924年5月中旬の報告によると、毎月の返済期日に鈴木商店からは、「毎々台湾銀行新規借入ヲ引当テニ延期願出」がありましたが、正金銀行は「延期許容スベキ理由モ無之」として拒絶し、資金回収に努めています。

 1924年8月には、正金銀行頭取児玉謙次の次のような書信が残されています。

大正十三年八月十五日

            兒玉謙次

 神戸支店 大塚支配人 殿

拝復 鈴木商店ノ金子氏小生ヲ来訪セシ際ノ談話ノ要領御承知相成度旨前田君宛御書状拝見、同君休暇中ニ付小生ヨリ左ニ御回答申進候

金子氏ガ度々小生ヲ訪問セルハ本行ガ有スル各種ノ手形約六百万円ヲ無條件ニテ返還致呉度事並ニ年賦金壱千数百万円ノ返済方ヲ八ヶ年賦ニ延長致呉度事ノ二点ニ有之、仍而小生ハ株式会社鈴木商店ノ営業ニ対シテハ本行モ出来ル丈ノ事ハナスベキモ鈴木ニ対シ援助的ノ事ハ一切為サヾル事ニテ援助ハ他ニ之ヲ為ス銀行ガ存在スルヲ以テ正金ガ援助ノ道連レトナルコトハ一切御免ヲ蒙リタシト明確ニ返事致置候次第ニ御座候

其後手ヲ換エ品ヲ換エ申出有之候得共一切受付ケズ今日ニ至リ候ニ付、貴信ニ相見ヘ候半季毎ノ入金額百万円ニ関スル如キ限定的問題ニハ無之、小生モ此等限定的問題ニハ一切觸接セズ根本的ニ先方ノ申出ヲ拒絶致置候、然ルニ小生赤倉滯在中同人来訪前期手形返還ノ希望ハ取消可申モ年賦ノ件ニ就テハ再考ヒ致度ト簡単ナル申出有之候ニ付、小生ハ単ニ承リ置クト答ヘ候ノミニテ引取申候(以下略す)

 鈴木商店金子が上京して直接交渉したものですが、児玉頭取の回答は、「株式会社鈴木商店ノ営業ニ対シテハ本行モ出来ル丈ノ事ハナスベキモ鈴木ニ対シ援助的ナ事ハ一切為サヾル事」であり、その理由は「援助ハ他ニ之ヲ為ス銀行ガ存在スルヲ以テ正金ガ援助ノ道連レトナルコトハ一切御免ヲ蒙リタシ」というものでした。鈴木商店が年賦返済金について担保の返還や償還期間の延長などを申し出てきていることに、正金銀行頭取が断固たる態度で債権の回収にあたる方針であったことが明らかになります。この時点で、すでに、「援助ハ他ニ之ヲ為ス銀行」と想定されている台湾銀行以外に鈴木商店の資金繰りに応じることができる金融機関がなく、鈴木商店の命運が台湾銀行と、それへの救済を模索しつつあった政府・日本銀行の動きに委ねられていたと考えてよいでしょう。

台湾銀行の整理案

 この間、台湾銀行は鈴木商店からの債権回収のために、1924年3月から9月にかけて二次にわたる整理案をまとめ、その実行を促していました。この経過は、『台湾銀行史』などですでに紹介されています。

 台湾銀行が整理案をまとめた背景には、次のような台湾銀行の認識がありました。1923年末時点で株式会社鈴木商店の純益金676万円に対して、鈴木合名の損失が1240.5万円に達し、差引564.5万円の損失と計算されていました。合名会社の損失原因は、借入金1.4億円余のうち利払いを要する1億3300万円に対する利息が1550万円にも達することです。しかも、鈴木商店で欠損と見做すべき支払手形が2880万円に達し、「他より少しでも圧迫があれば、いつ破綻を生ずるかも知れぬという危険な実情」だったのです。

 こうした問題を認識して、台湾銀行は、1924年3月に「第一次鈴木商店整理案」として、政府・日本銀行に資金の融通を求めています。また、台湾銀行から人を派遣して経営への監視を強めようとしました。そうしたなかで、金利を引き下げなければ債務の解消は難しいと認識するようになります。同時に鈴木商店の経営に対する金子の影響力を排除し、組織改革を進めようとします。しかし、このような方針は鈴木商店内部の抵抗もあって、台銀の意図通りには進まなかったようです。そのため『台湾銀行史』では繰り返し、「金子独裁」への批判が書き込まれ、それが鈴木商店破綻の主因であるという定説を作り出すことになります。この点の検証は難しいのですが、鈴木商店の対応に不満を抱くようになった台湾銀行が、次第に苛立ちを募らせていったことは間違いないことのように思います。

高田商会破綻と金融不安

 1925年2月に生じた高田商会の破綻に伴う金融動揺に連鎖して、鈴木商店の信用状態が悪化します。1922年の石井定七事件と同様に、海外でも大きな問題として注視されていたようです。そのため、頭取席から倫敦支店宛に1925年5月1日には次のような電報が送られています。

     頭取席発電  倫 敦   大正一四、五、一

 鈴木商店ハ高田商会事件以来同店手形割引幾分円滑ヲ欠キ自然台湾銀行ニ融通ヲ仰グ程度若干増加シツヽアル状況ナルガ貴地紐育等ニ於テモ兎角風聞有之趣ニ付自然同店ニ関シ貴店ヘモ間合可有之其節ハ何等言質ヲ取ラレザル程度ニ於テ左ノ意味ノ回答有之度。

 鈴木商店ハ営業範囲広汎ナルニ加ヘ幾多ノ傍系会社ヲ有スルニ付同店裏書手形自然市場ニ絶ヘザル為メ兎角ノ浮説生ジタルコトアリ、然レドモ同店ハ永年築上ゲタル営業上ノ地盤ヲ有シ且近来緊縮方針ヲ取ルノミナラズ有力銀行ノ後援アル筈ナレバ吾人ハ先ヅ同店ハ無難ナリト了解シ依然平素ノ通リ取引ヲナシツヽアリ。

此旨紐育支店ヘ転電セヨ。

 これに対して、5月5日に倫敦支店からは、「只今Spencer Smith来訪鈴木商店(株式)May Collapse at any Momentトノ噂当地ニ於テ相当有力ナリトノコトニテ最近状態間合セアリ。尚同人極秘トシテ語ル所ニ據レバ英国Board of Trade ニ於テハ台湾銀行ニ関シテモStrong warning ヲ与ヘ居レリトノコト。先日電報朝鮮銀行ノ件モ同様警告ニ拠ルモノト推測ス」との電報が届いています。

 これに対して、頭取席は、「先月下旬H.S.Leferre&Co.ヨリ某処宛電信ヲ以テ鈴木商店危機切迫風説有之旨申越タルニ付台湾銀行依頼ニヨリ日本銀行トモ相談ノ上五月一日発弊電、発電シタル次第ナリ」と、鈴木商店の信用状態が海外で問題視されていることを認識していること、日本銀行とも協議の上で方針を定めていることを伝えています。この時も海外発の金融不安の発生回避のために動いていました。

孟買支店の手紙

 1925年6月下旬に横浜正金銀行孟買支店から、鈴木商店が、それまでのNational Bank of Indiaとの為替取引による綿花輸入について、円貨為替での取引を希望するとの申し出があったことが報告されています。孟買支店はこの取引開始に積極的でした。孟買支店支配人は鈴木商店の支店長とは「小生香港時代以来親密ニ交際致居人物モヨク存致居ニ付今後当店ト棉為替関係相生シ候節ハ何カト好都合ニ御座候」と説明しています。孟買支店支配人は乗り気です。本店から鈴木との取引について警戒すべきとの通知が出ていたにもかかわらず、十分には理解されていなかったようです。

 この案件は、いったん沙汰止みとなりましたが、同年10月に再燃したようで、10月23日に頭取席から「鈴木商店棉花為替ノ件」は大阪支店に回すように指示が出されています。それを伝えた書信は次のようなものでした。。

大正十四年十月二十三日

                            頭取席欧米課

  孟買支店支配人席 御中

      鈴木商店棉為替ノ件

 鈴木商店棉為替ハ従来総テ英貨手形ナリシモ最近台湾銀行ト五十万円ノ円貨為替ヲ取極メ今後モ相当出来得ル見込ノ由ニテ右吸收御希望ノ趣本日貴電入手御来意拝承致候

 当行対鈴木商店取引ニ付テハ一昨年来極力緊縮方針ヲ取リ固定貸勘定モ漸次整理セラレ最近漸ク九百万円台ニ縮少セラレ候処右ハ鈴木商店内容改善ノ結果ニ非ス営業成績ハ甚ダ不振ニシテ今年上半季ノ如キ小麦、硫安ノ思惑ニ失敗シ結局三百万円内外ノ欠損ヲ生ジ候有様ニ有之前期当行固定債権ノ縮少ハ一方ニ於テ台銀債権ノ膨脹ト相成候次第ニテ其能ク命脈ヲ繋キ居ル所以ハ全ク退引ナラス台銀ノ援助ニ因ルモノニ有之候

 鈴木商店最近ノ状態ハ大体前記ノ通リニ有之此際当方ヨリ進デ取引慫慂致候場合ニハ自然信用ノ増加ヲ余義ナクセラレ折角ノ整理ニ渋滯ヲ来スヘキ憂モ有之候ニ付可成先方ヨリApproachセシメ荷物貸渡等順潮ニ相運ブベキ範囲ニ於テ指図書発行調節ノコトニ致度此趣旨ノ下ニ「先方ヨリ大阪支店ヘ申出シムル様取計相成度」旨御返電差上候次第ニ御座候

追テ当地台銀ニ於テハ右円貨為替取極ノ件未ダ承知致居ラス倫敦信用状約四十万磅ヲ以テ依然全部英貨為替取組居ル筈ナル旨申居候

右得貴意候  敬具

    寫大阪支店送附

 この書信に当時の横浜正金銀行が鈴木商店をどのように見ていたのかが書き込まれています。同時に注意したいのは、この書信で台湾銀行の円為替資金について「当地台銀ニ於テハ・・・未ダ承知致居ラス」とされていることです。おそらくボンベイでは、書信冒頭にあるように台湾銀行と50万円の円為替資金取り決めができたことを背景に、正金銀行にも円為替資金をというかたちで話が進められていたのだと思います。そのことを正金本店は台湾銀行に確認したところ「承知していない」との返事を受けとったのです。つまり、鈴木商店は不確定な情報を正金銀行孟買支店に提示し、台湾銀行との円為替資金約定が実現したかのように装って正金銀行からも資金を引き出そうとしていたと考えられるのです。それほどに鈴木商店各店の資金繰りが逼迫していたのです。監視の目をかいくぐって手段を選ばす資金繰りに奔走していた鈴木商店の内側が見えてきそうな話です。

 

第6回(1)