日本経済史・経営史:研究者のひろば コラム

鈴木商店と横浜正金銀行

第8回 正金銀行と鈴木商店

武田晴人

第8回(1)

累積した固定貸しの回収

 金融恐慌による破綻に至るまで、横浜正金銀行が鈴木商店に対して固定貸しとして整理を必要とした金額は、1919年に大連支店取引の失敗に起因する570万円をはじめ、以下のように総額3343万円に達しています。

 それを一覧にまとめると、以下のようになります。

1919年8月570万円大連支店大豆粕思惑の損失
1922年11月300万円輸出前貸、担保抜取り
1923年2月225万円満州各店損失及担保荷物値下り損
1923年7月424万円各地支店債権固定
1923年12月1,241万円関東大震災損失及担保B/L荷物抜取り
1926年8月403.5万円各店固定繰入れ
ほかに280万円大連南満州物産株式会社の割手

 この合計3343万円については1927年3月末まで毎月の返済などにより順次回収が行われ、鈴木商店破綻時の残高は867.3万円で、2500万円ほどが回収済みでした。

鈴木商店破綻への反応

 台湾銀行の新規融資停止という激震が金融市場に走るなかで、横浜正金銀行は3月15日には泗水支店支配人の照会に対して、次のような書信を送っています。

書第三号 昭和二年三月十五曰

               頭取席内国課

                (捺印者。最上、前田)

泗水支店支配人席 御中

拝復二月廿一日附貴信御照会ニ対シ左ニ御回答申上候

        鈴木商店ノ件

曰紛整理問題、震災手形問題等ノ為メ鈴木商店ノ立場ニ対シ疑惑ノ念ヲ起サシメ候事当然ニ有之殊ニ現在問題ト相成居候震災手形関係ノ法律案ニシテ万一否決ト相成候場合ニハ多大ノ影響アルヘキコト想像ニ難カラズ候得共結局ハ議会ヲ通過シ其結果台銀並ニ鈴木ニ対シ整理促進ノ曙光ヲ与フルコトヽモ相成可申此際特ニ悲観ノ必要ハ無之哉ニ被テ候従テ外部ノ照会ニ対シ何等異状ナキ旨御回答ノ儀毫モ差支無之、猶ホ曰粉問題ハ新聞記載ノ通リ整理ノ結果鈴木直系ノ会社ト相成候得共、商品、原料、土地工場等ノ持値切下充分ナラズ運転資金モ不如意ニシテ今一段ノ整理ヲ必要トスル実状ニ有之候

右得貴意侯 敬具

 この書信は、正金銀行資料のなかで資料を編纂した担当者によって「三月十五日迄幹部ハ果シテ斯様ニ楽観シ居タルヤ?」と疑問が付記されているものです。少なくとも震災手形法案が成立すれば鈴木商店の問題も台湾銀行ともに解決の方向に「曙光」を見るとの見方があったというべきかもしれません。

 付け加えれば、台湾銀行が対鈴木商店向け融資の停止というような切迫した決定を迫られているというような情報は、現存する正金銀行資料からは見出すことはできません。状況認識が楽観的な印象を与えるのは、そうした情報の不足という可能性は十分にあります。台湾銀行は鈴木商店救済に関して正金銀行にも同等の負担を求めるという方針で臨んでいたことが『台湾銀行史』に記述されています。その台湾銀行が、土壇場に来て決定的な情報を流さなかったのかもしれません。

 もしそうであれば、正金銀行の「楽観」も理解できるのですが、そうではなくて、当時の金融業者たちは、むしろ事態の悪化を予想せず、台湾銀行も例外ではなかったという可能性もあります。つまり、記録から再現される三月下旬の台湾銀行の新規取引停止という決定も、そうした強い態度を明示しながら、いずれ政府・日銀から救済資金供給の方策が提示されると期待していたのかも知れません。そして、この「楽観」は政府・日銀が新規の資金を台銀に提供するという意思を明示しないために根底から崩れていったのです。

一時的な楽観論

 もちろん、正金銀行が「楽観的」な見方を前面に出すような対応した理由としては、正金銀行の動向が市場(特に海外市場)の注目点の一つとなっていることから、新聞報道などにもとづく風聞による動揺を抑えようという意図があったという解釈も可能です。すでにふれたことですが、とりわけ海外に関しては、石井定七事件、高田商会破綻などに関連して、正金銀行は海外での金融不安が昂じないように腐心していたからです。十分に考えられることです。

 この点は、台湾銀行の新規融資停止以降、連日情報を各店に電報し、対応を指示するなかでもにじみ出ています。すなわち、3月26日に正金銀行本店は、協定限度外の信用取引を中止するなど警戒を強める一方で、正金銀行の行動が鈴木商店の破綻を促進することがないように注意を与えています。さらに4月2日に主要各店宛に「三月末債権電報中鈴木商店関係分至急電報セヨ」との指示を送っています。この背景には、鈴木商店が2日の資金不足額40万円は手持商品担保によって調達の見込みとはいえ、週明けの4日の分114万円については2日の時点で「未ダ見込立タズ、金子直吉最後ノ努力試ミ居レドモ最早效果ナカルベシ」との状況があったようです。

 資金繰り困難が予測されていた4日には、「四日同店ヨリ本行ニ仕払停止ノ申出アリタルコト並ニ本行卜同店トノ各勘定残高ノ件報告アリ」、この旨が各店に通知されました。ただし、正確には鈴木商店からの申し出は、「本日期日分ニ付テハ関係先卜交渉暫時支払猶予ノ了解ヲ得タル由ニテ未ダ支払停止公表ニ至ラズ」という状態でした。しかし、正金銀行側では、これを受けて「本行ニ於テハ支払停止卜見做シ債権擁護ノ手続ヲ採ルベク、即チ荷物貸渡当座貸輸出前貸其他一切ノ信用取引ヲ中止シ貸渡荷物取戻ノ手続ヲ為スベク尚既発行信用状ニ対スル荷為替取組ニツイテハ個々ノ場合ヲ考慮ノ上出来得ル丈ヶ希望ニ応ズベキニ付至急当方ヘ申出ラレ度旨通告シ置キ」との態度をとって、破綻後の整理を想定して動き始めたのです。わずか半月ほどで明確に認識が変わっていることは確認できます。

横浜正金銀行再建の回収完了

 横浜正金銀行が3月末、4月4日に保持していた債権残高を種類別に示すと次の表の通りでしたこれを店別にまとめると、ジャワ糖の支払い保証1385.7万円を含むスラバヤ支店1500万円、整理手形867.3万円、荷渡し226万円を含む神戸支店1400万円、これに次いで本店477万円、倫敦支店445万円、孟買支店277万円、シアトル支店256万円、大阪支店240万円、紐育支店238万円、大連支店150万円などとなっていました。このほかに信用状発行残高が神戸支店2230万円(内保証付1800万円)など2484万円があり、さらに大連支店で南満州物産株式会社割引手形176万円(工場担保)の保証がありました。

表1 横浜正金銀行の対鈴木債権

 これらの債権の回収については、普通取引の回収は比較的順調に進み、表のように、輸入手形(荷物貸渡)については、436万円のうち200万円ほどが回収されたが、他方で、整理勘定割引手形や信用協定による当座貸勘定などについては、27年9月末までにはほとんど手が付けられていませんでした。しかし、普通取引債権回収にめどがついたことから、正金銀行は、10月に各店の債権を頭取席に付替へ一括して処理することとしました。

 この時点での未回収額は、1226万円余でした。整理手形の残高870万円と「普通取引」の未回収分を合計したものと考えて良いでしょう。これらの債権整理は1933年秋にはおおむね完了することとなり、同年12月末には「鈴木商店に対する債権の全額を回収」したと記録されています。回収額は、担保別に見ると、公債28.5万円、社債13.0万、預金206.9万円、株式792.4万円、手形2.4万円、株式配当144.4万円の合計1157.2万円です。このほか、鈴木商店勘定整理に際して正金銀行が引取つた大日本鹽業会社株、帝国人造絹糸株式会社株などによる売却利益もあわせると、鈴木商店破綻以来の5年間の債権整理期間中に固定債権平均残高817万円に対して、年8.24%の収益であったと報告されています。

 他方で台湾銀行は大規模な掲載組織改革を伴う再建の道を歩むことになります。一歩早く回収に乗り出した正金銀行とは異なる条件で、鈴木商店の経営破綻を受け止めきったのです。

                                                          (完)

第8回(1)