日本経済史・経営史:研究者のひろば コラム

研究室の我楽多箱

第8回 燃料局関係資料 通商産業政策史資料(1)

武田晴人

第8回(1)

 1970年代後半の大学院生時代、当時、法政大学にいらした伊牟田敏充先生に誘われて、通商産業調査会虎ノ門分室の通商産業政策史研究所で資料整理などのアルバイトをすることになった。本省にあった商工政策史編纂室の資料や本省書庫の資料などを整理することや、通産省OBからのヒアリングを行うことなどが、この研究所の主な仕事で、1980年代にはいって着手される戦後通商産業政策史の編纂の準備作業に位置づけられるものであった。私に与えられた仕事は、ヒアリング記録の校正や購入図書の整理だったが、その中で、『通商産業行政四半世紀の歩み』に収録された年表原稿の作成や『商工省・通商産業省行政機構及び幹部職員の変遷――大正14年-昭和48年』(産業政策史研究所編、1977年)の作成にもあたった。年表の作成は、この経験を活かして、その後、社史編纂のお手伝いや通産政策史の年表作成にも携わるきっかけとなった。後者の幹部職員の変遷は、本省に残っていた個人別の人事記録から、課長以上の職位の在任期間を抽出して、この一コマ一コマのデータを組織図の時系列表に落とし込んでいくものであった。課長以上の職位に誰がいつからいつまで在任したかというまとまった記録はなかったので、個人の記録にもどって、A氏がいつからいつまでどの職に在職したかを拾い出し、これを職位に即して並べ直していくのが基本的な作業だった。人事異動の都合で一次空席になっている部分の兼務者を探し出すことなどそれなりに苦心も必要だったが、官報等の記録では情報が不足していたために、人事の個人記録が使われた。この作業で用いたのは、すべての職員についての入省以後の個人別の人事記録であり、おそらく公開されることはない資料であろうが、1970年代に商工省発足以来のすべての記録が保存されていたので、時間はかかったが何とか変遷表を完成することはできた。

 こうした資料整備のあとで与えられたのが、商工政策史の編纂資料を用いてレポートを書くことであった。商工政策史編纂資料は、土屋喬雄先生を中心に推進された商工行政史、商工政策史の編纂事業のために、敗戦時に焼却などによって失われた省内の記録文書に代わって、OBの手元にあった書類を集めたものであった。今では考えにくいことだが、収集当時、有力なOBたちは行政事務に関する重要書類を持ち帰り保管していた。そのことが、このような収集を可能にした。収集資料の中心は吉野信次が寄贈した書類や書籍であり、それ以外には美濃部洋次、小金義照などからの寄贈書類があった。いずれも貴重な資料で、自動車製造事業法に関する資料などを利用した研究なども行われており、この時期にはツテをたどって外部の研究者たちも閲覧し、研究に利用することもできた。


>>画像:燃料調査委員会関係書類 第2冊


そうした関連もあって外郭の研究機関に所属する私にもレポートを作成する機会が与えられた。当時の関心は、もっぱら鉱山業史だったが、編纂資料に基づいて鉱山の歴史に関わるテーマを選択することは難しく、また産業政策史研究所の研究活動としても、もう少し重要度の高いテーマをと考えて選択したのが燃料局関係の石油行政に関する問題を扱うことだった。

 燃料局の資料に注目したのは、小金義照氏寄贈文書の中に「燃料調査委員会関係書類」第1分冊~第3分冊および答申書という4冊の分厚い資料があり、そのほかに「液体燃料委員会資料」昭和12年(吉野信次寄贈)、「商工審議会第四特別委員会資料」、燃料局「人造石油製造事業関係資料」昭和12年(吉野信次寄贈)、「人造石油製造振興計画資料」昭和12年7月(吉野信次寄贈)、「石油資源開発法案関係資料」(吉野信次寄贈)、燃料局「石油消費規正実施状況」昭和14年、「帝国燃料興業設立委員会配布資料」、「帝国燃料興業法案・人造石油製造事業法案資料」昭和12年7月(吉野信次寄贈)、「燃料局官制中改正ニ関スル件その他」、「燃料局関係資料」昭和13年(吉野信次寄贈)、燃料局・特許局「燃料局主管事項ニ関スル行政方針及び施設事項・特許局施設事項」昭和12年7月(吉野信次寄贈)、燃料局「礦油関税改正ニ関スル資料」昭和12年があったからである。これだけの資料があれば何かまとめることはできるだろうと判断して、予備知識もなく始めることになった。

 私の研究室にはこれらの資料が画像として残っていた。産業政策史研究所の研究活動ということで自由に複写が認められ、それが手元に残っていたものを、かなり後になってから研究室が手狭となったことなどもあり、画像として保管することにしたからであった。いずれも政策文書であり、その立案に関わる資料群であったが、燃料局の石油行政がどのよう経緯で形成されたかを追跡するうえでは有用なものであった。資料のうち小金文書だけでなく、吉野信次寄贈の資料が多いのは、ちょうど吉野信次が商工大臣に就任した時期に当たったからであった。商工政策史編纂資料を精査すれば、さらに関係資料を見出すことはできるかもしれないが、数か月の調査期間しかなかったので、小金文書を中心に資料紹介的な意味を持てばよいとの判断で、限られた範囲の資料でのレポートになった。結果的には、燃料局が設置されるまでの関係機関のやりとりなどが中心となったもので、その成果は、「燃料局石油行政前史」として産業政策史研究所資料の一冊に仙波恆德さんの「対日賠償政策の推移」とあわせて収録され1979年に刊行された。軍の強い外圧があって、その必要量や備蓄量などについては政策的に関与できないという制約条件の下での政策立案の難しさが、資料の端々ににじみ出ていて、戦前の日本、とくに戦争が切迫している時代の軍部の横暴ぶりが印象に残った。

 この「前史」は、その後阿部聖さんや橘川武郎さんなども引用するものとなり、産銅業史など自分の主たる研究分野の論文では引用参照される数がほとんどない私の研究の中では、珍しくよく参照されるものになった。

 行政の歴史的経緯を知るための資料群が、現在どのような形で保管されているのかは、必ずしも明確ではない。公文書館の保管資料には、近代初期はともかく後の時代にかかわる諸官庁の行政文書がそれほど多くはなく、大蔵省・財務省の財政史資料などの存在が知られているものの、その公開の度合いもそれほど研究者に優しいとはいえない。新たな資料の発掘などはあまり期待できないが、保管され続けてきた資料については公開がのぞましく、公文書の公開のあり方などが問われている現状であろう。

 商工省・通産省関係の資料については、2010年頃の調査によると、国立公文書館に移管されていた数はきわめて少なく、移管された資料は「例規類もしくは閣議請議等関係文書」などが多く、政策立案に関わる資料は少ないようである(栃木智子「経済産業省(通商産業省)文書の構造と移管のあり方について」国立公文書館『北の丸』43号、2011年)との報告もある。

 「商工政策史編纂資料」については、通商産業政策史の編纂事業が本格化するとともに、1980年代から最近まで外部から利用が制限されるようになっていたが、通商産業政策史資料としてこれを継承していた独立行政法人・経済産業研究所から、国立公文書館に資料が移管された。上記の調査はその移管前のことであるから、同館の商工省・通産省関係の資料は現在では大きく様変わりしている。しかも、この移管資料は同館の全面的な協力の下で、ジャパンデジタルアーカイブでオンライン版として利用できるようになりつつある。上記の燃料局関係の資料は、この事業によってオンラインでみることができるようになっているが、この資料公開がさらに多くの新しい研究を生み出すことを期待している。

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