日本経済史・経営史:研究者のひろば コラム

異端の試み

第2回 帝国主義の経済構造について(2)

武田晴人

第2回(1)従属をどう捉えるのか/熟練労働力の質の問題
 (2)独占資本主義と労資関係の変化
 (3)調停法体制と普選治安維持法体制
 (4)入超構造の捉え方と過渡的性格/橋本寿朗説と武田説の相違点

第1回の帝国主義経済構造の講義を受けて、以下のような質疑応答が続きました。

従属をどう捉えるのか

産業資本の確立について先生は、国民経済的自立性の問題が重要だと指摘していますが、帝国主義段階への移行期に問題とされる自立と従属とどう関連するのでしょうか。

武田:この質問は、少し問題の捉え方にずれがあるのですが、産業革命期の「国民経済的な自立性」とは経済的な構造についての議論であるのに対して、β型に関連して提起された問題は、経済的な側面として国際貸借に基礎を置きながら帝国主義国としての「自立」「従属」を問題にしていてそこには政治的な意味が強く込められていますから、同一線上で問題を論じることは必ずしも適切ではないのです。

 もちろん、従属か自立かという論点は、そこでは何らかの質的な意味が経済的にもあるというのが浅井さんの立場です。つまり従属というのは単に資本を借りていることと同義ではない。債務国であるということと同義ではない。もし債務国が従属国であれば、アメリカ資本主義はいま日本の従属国になる。誰もそうとは考えていないわけですから、債権債務関係があることと、従属とは別だ。従属を議論できるとすれば、たとえば戦前の中国のように対外借款の見返りに関税収入をすべて担保にとられ、しかも税関のトップの地位をイギリス人に奪われるケース。これなら典型的に従属なのですが、そういう意味で主権が侵害され、何らかの支配・被支配関係に近いもの生じた場合が「従属」だと考える。

そういう観点からみると、日露戦時・戦後の日本は、自立を志向していたけれども、日露戦争自体が日英同盟という枠の中で、日本を極東の憲兵という矮小な役割に押しとどめるということをねらいとしたものである限りは帝国主義国としての自立を制約しようという条件を伴っていた。そうした点も含めて日露戦争期には日英同盟を前提として日本はイギリスに従属した側面を残した。それに比べると、第一次大戦後には、借りなければならない国という面はあるが、借りられる国になったという面もある。電力会社がニューヨークで社債をかなり自由に発行できるような国を従属しているといえるかが、浅井さんの出した問題です。

 そこから「自立している」という評価が出てくるのですが、それは債権・債務関係は対等な取引関係だと考えるということでもある。経済的な制約面では、「自律」性が問題なのですが、それは帝国主義が植民地を含めて自給的な経済圏を作ろうとしても、植民地が狭すぎて、自給的であり得ないという点です。自給的であり得ないために自立できないという限りで、「自律」を制約している。しかし、これは一般的には重大な問題ではないはずです。自給的でなくても、国際貿易が順調であれば資源の制約は克服できるし、その際には貿易のバランスがとれればいいだけのことですから自立的でありうる。このように考えれば従属を説明することは簡単ではないのです。

 付け加えると、自立性をもたらした要因には、産業の量的拡大が貿易構造を変える側面と、日本の軍事的なプレゼンスの増大が国際社会に認知された面との2つの問題があると思います。経済的に小国でも軍事的に大国ということはあり得るからです。軍事的大国であるという面を強調しているかはわかりませんが、浅井さんの全体の論理からいうと、産業発展が進み競争力が上がって日本経済の国際的な地位は高くなった。そのことが、自立性をもたらしたという考え方だと思います。

熟練労働力の質の問題

「1920年代史研究に関する方法的覚書」(以下、「覚書論文」)では、帝国主義への移行に関連して、労働力について旧型熟練と新しい熟練を分けている意味、さらに労資関係を問題にしている意味はどのようなことでしょうか?

武田:産業構造の重化学工業化のなかで重要な労働力となる重工業に従事している人たちを中心に考えています。旧型というのは、職人的熟練です。産業革命や産業資本の確立を論じる際には、生産現場で労働力に対する資本の専制的な支配が成立することが資本家的経営の成立に関しては一番重要なポイントだと考えています。そこでは熟練労働力を排除して代替可能な不熟練単純労働力に置き替えるような機械制大工業の意義が強調されてきました。これは紡績業で典型的に見られることですが、製糸業では等級賃金制によって熟練を相対化するということで可能になるというように。

ところが、重工業部門、たとえば機械工業を考えてみると、機械生産では初期には万能的職工が自分の腕を頼りに完成品を作る。徒弟に手伝わせながら、労働過程全体が職人の側に完全に支配されている。こういう状態は資本家的経営が成立するうえでは、大きな制約要因です。熟練労働者が、「今日の仕事はこれでおしまい、これ以上は、もう嫌だ」といわれたら、作業してもらえなくなる。大工さんの機嫌をとりながら家を建てるような話になる。

 そういう属人的──つまり、ある特定の人に帰属するような熟練労働・技能を「旧型熟練」と捉えます。それに対して、機械制大工業については、資本主義経済の発展にともなって機械化が進むと熟練労働が解体されて、不熟練の単純労働になると、原理的な世界では考えている。しかし、これはたぶん歴史的な事実ではない。現在にいたるまで、大工場の現場にもある程度の熟練労働が残っているし、技能の重要性も認められている。この問題を考えていくときに、そうした技能とか熟練の変化を問いかけてきた研究史に注目した。たとえば、新しい熟練を山本潔さんは「半熟練」という言葉を使って表現していましたが、ここには古いタイプの熟練と資本主義社会で残る熟練とを区別する問題意識が明白に表明されています。新型の熟練はいわば資本主義社会に固有の熟練労働、資本家的に編成された労働過程の中で必要とされる熟練労働力であって、要するに企業特殊的、機械化された労働過程に特殊的な技能をイメージすればよい。違いはというと、ある装置とか機械設備とかを前提にして、しかもその中での一定の分業体制を前提にして、自分の請け負っている労働の範囲に対して技能を要求されていることです。その技能だけをとりだしてきて独立に何かできるかというと限界がある。その前後の工程を分業関係や、市場を介して繋がる別の人がやってくれなければ、自分の働きも何の意味ももたない。万能的な職人的熟練工は工場を出ていって自分で工場をつくってもいいし、ほかの会社に換わってもいつでも対応できる。ところが、新しいタイプの熟練については必要とされている装置体系を労働者の側は自分では準備できない。鉄鋼生産では、非常に重要な熟練労働者に炉前工がありますが、その人は溶鉱炉のあるところに連れていかなければ何の役にもたたない。ただのでくのぼうになってしまうと言い過ぎかも知れませんが、この違いを旧型と新型という区別をすることで考えていこうということです。

 この捉え方は、生産現場の現実を見ていた労働問題の実証的な研究から出てきています。論理的演繹的な議論ではないのですが、そのような実証的な観点から日本の歴史的現実を見ていくと、第一次大戦期にかけて現場の熟練のあり方に変化を認めることができます。もともと職工の移動率は非常に高かったのですが、そこでは、日露戦争後まで万能的な熟練工(旧型熟練)がかなり重要な意味をもっていました。

 ところが、西成田豊さんの三菱造船所の研究や、二村一夫さんの鉱山の研究など賃労働史・労使関係史の研究では、日露戦後に明確な変化があると指摘しています*。この議論は、兵藤さんの『日本における労資関係の展開』(東京大学出版会、1971年)にも共通していますが、全体の構造としては、この兵藤さんの研究で第一次大戦期にかけて間接的管理体制から直接的管理体制に変容するという労資関係の変化を捉えている基盤に、熟練労働の質的変化があると理解して、私はこれに基づいて議論をしています。

一般的な状況でみると、第一次大戦中に友愛会の基本的な支持層が親方職工層から平職工層に変わる時点で現場の労働力のあり方も変わってくる。親方の生産現場の支配が効かなくなったこと、そうだからこそ現場の平職工が自発的に組合に参加して運動していると考えて、この時期の労働者意識の変化と生産現場の変化とが対応している、そして労働力の質的な変化が進行したと考えています。

第2回(1)従属をどう捉えるのか/熟練労働力の質の問題
 (2)独占資本主義と労資関係の変化
 (3)調停法体制と普選治安維持法体制
 (4)入超構造の捉え方と過渡的性格/橋本寿朗説と武田説の相違点