「これまでの本、これからの本」第一回 一橋大学 齊藤誠先生

「お薦めの本を1冊挙げてください」と言われたら、皆さんはどの本を思い浮かべますか?
このコーナーでは様々な先生方に学術書を中心にご自身の思い出の書籍、現在関心を抱いている書籍を挙げていただき、それらの書籍に対する思いを語っていただきます。
第一回目は一橋大学の齊藤誠先生にご紹介いただきました。

【インタビュー】


― 先生が感銘を受けた本、学生時代に熟読した本など、思い出深い書籍について教えてください


まず1冊目は大江健三郎さんの『ヒロシマ・ノート』です。これは何か1冊と言われた際必ず挙げる1冊です。
初めて読んだのは中学生の時ですが、非常に衝撃を受けました。原爆後の悲惨な広島での医師たちの姿、それでも生きていく人間の姿は非常に鮮烈で、社会科学の研究を仕事にすることの、最初のきっかけの1冊ともいえます。人間社会の悲しさや深さ、生きていくことの希望や絶望、いろいろなことが含まれており、今でも時々思い返して読む1冊です。

直接的に経済学を学ぼうと決めるきっかけとなった1冊は森嶋通夫先生の『近代社会の経済理論』でした。初版は1973年に刊行されていますが、その後、岩波書店から森嶋先生の著作集が出ており、その中の1冊でもあります。
簡単なモデルで経済社会を記述した本で、学部時代に読み、経済学への魅力を強く感じました。この本に出逢った当時はマルクス経済学が主流であったため、近代経済学理論は非常に新鮮だったのを覚えています。

自分が実証分析をするきっかけとなったのは、現在滋賀大学の学長をされている佐和隆光先生の『数量経済分析の基礎』です。計量経済学の基本から応用までがカバーされていて、京都大学時代に教科書として活用しました。今の時代にあっても優れた計量経済学の教科書だと思います。データを使う学問の魅力を教えてくれた本です。

現在、国際日本文化研究センターの所長をされている猪木武徳先生の『経済思想』もお薦めの1冊です。岩波書店より復刻で出ている岩波モダンエコノミクスシリーズの1冊で、人類の歴史と共に経済思想がどのような変遷を経たのか、と言うことについてコンパクトにまとめられた本です。また、同じモダンエコノミクスシリーズの石川経夫先生の『所得と富』は私の専門と近い内容で、影響を受けた1冊です。

以上のタイトルは大学でも学生にお薦めしている書籍です。本は時代の先端をとらまえて出版することに意味がありますが、同時に、その時代背景や社会状況から離れて、本として読んで楽しい本もあると思います。今ご紹介したのは古いタイトルですが、どの本も今読んでも新鮮さを感じられる内容だと思います。

― 先生の著作からもお薦めを教えていただけますか


自分が学生時代に感じたように、出したときには最先端、時代が経っても古びない本を書きたいといつも思っています。
1996年に『新しいマクロ経済学』という、学部上級生から大学院生、研究者向けの本を有斐閣から出版しました。出版当時はもちろん、時が経っても新しいと思えるように意識して書いており、将来的に、これも考えておかねばならないだろう、ということも入れてあります。2006年に新版を出版しましたが、この際も150ページ内容を増やし、新しい問題に関する議論も追加しました。次は2016年にまた新版を出したいと考えていますが、その際には新しい章を追加したいですね。

今ご紹介したのは院生レベルの学生向きで、学部生にはちょっと難しい内容となっていると思います。現在、残念ながら昔より学部生の知識量が少なくなってしまっていると思います。
そうした中で、前提とした知識がそれほど必要ではなく、と同時にマクロ経済学の全容がつかめる本として有斐閣のNew Liberal Arts Selection『マクロ経済学』をお薦めします。学部の1年生から4年生まで使えて、新しい時代環境に即したマクロ経済学を学べると同時に、各種資格試験に必要なマクロ経済学の知識も得ることができます。

日本の学部で学べるマクロ経済学の授業は外国と比べると時代遅れの部分があります。
その背景として、マクロ経済学は資格試験でも必ず必要となってくる学問であるがゆえに、内容の安定性が求められ、常に進化している内容が大学での教育にはアップデートされずに、大学の教科書がここまで来てしまった、という現実があります。
そのため、世界的なマクロ経済研究と日本の大学生達の知識との間には差が生まれてしまいます。最先端の研究を学ぶことは大切ですが、だからと言って、学生が必要とする資格試験に全く即さない授業・知識ではいけませんし、その溝を埋めるための本として本書を作りました。現代のマクロ経済学を学べると同時に学生のキャリアアップにも使うことのできる内容となっています。

そして、もう一歩、広い読者にマクロ経済学を知ってもらいたい、ということで書いたのが、ちくま新書から出した『競走の作法―いかに働き、投資するか』です。講義のようにかっちりとはしていませんが、マクロ経済学の基本的な考え方を踏まえて、厳しい競争社会での生きていくための知識・スキルを著したものです。
マクロ経済というと政府の人や日本銀行の人が使うもの、というイメージがありますが、もっと普通の市民にとって必要な知識もたくさん含んでいます。例えば、日々の為替レートや株価が自分の生活にどんな意味を持つのかが分かれば、様々な立場の人が市場社会で生きていくのが楽しくなると思います。それを知るきっかけの1冊になればよいと思っています。

― この本は昨年春に出版されましたが、2010年の日本経済新聞の経済図書ベスト10の1位に選ばれたこともあり、いまだに人気のようですね。


この本で言いたかったことの一つに、幸せとは漫然と生きていただけでは幸せにはなれず、意識的にならなければ幸せになれない、ということがあります。豊かになるために私たちは残業・休日出勤をして頑張ってきましたが、それが本当に幸せに繋がるのか、と考えてみると、そうではなくて、家族を大切にしたり、自分の身体をメンテナンスしたり、地域社会との繋がりを強くしたりする、といった広い意味での投資・生産活動が自分の基盤へつながるということが分かります。この本は3.11の東日本大震災以降、また少し売れているということですが、地震が起きて、そういった絆の大切さが表面化したと思います。日々の積み重ねを大切に、丁寧に生きたことの積み重ねの結果が震災のときのような極限状態ではよく現れているのではないでしょうか。
このような意見を言うと市場社会を否定しているかに思われるかも知れませんが、そうではなく、人は競争に晒されることで、それが丁寧に生きるための動機付けになると思います。市場社会と市民社会、そのどちらかが重要と言うわけではなく、その両立が幸せに繋がるといえると思います。

― 最近の電子書籍の流れについてはどう思われますか?


研究書については洋書を読むことが多いですが、やはり電子ジャーナルなどを多用します。 必要な論文や書籍をipadに入れて持ち歩いて読みますね。たくさんのコンテンツをipad一つに入れられますし、検索機能などはやはり便利です。

ただ、日本の電子書籍の流れは紙の時代に培ったノウハウが活かされていないと思います。紙の書籍は文字数の制限はもちろんのこと、活字や図表の使い方や規律など様々な制約があることで、それが読者へ対する内容の伝えやすさに繋がっています。
ですが、Webは文字数やサイズなどの規制がゆるいため、「考えをまとめる」という行為が省略されがちで、情報の垂れ流し状態になってしまっています。形式があること、編集されることで内容も洗練されていくことに繋がります。紙から電子になるにしても、書籍で培ったノウハウの上に成り立たなければ出版の未来は明るくないと思います。

そういった点で成功している例として、The Economistが挙げられます。印刷版において読者の読みやすさを考えた上で決められた活字や図表の使い方などの厳しいルールが、電子版でも踏襲されその読みやすさは変わりません。こうした編集の大切さなどを見直し、日本の電子書籍にも踏襲して欲しいと思います。

一方で、電子化が進むことによって研究書の幅も広がると思います。印刷にするにはコストがかかるため、あまりにも分野が限定される研究内容は印刷までこぎつけるのが難しいことがありますが、電子であればそのハードルが下がり、これまで印刷されてこなかったより細かな研究内容を共有することが可能となり、それは学術市場にとっては非常に有益なことだと思います。

アマゾンや電子書籍の進化によって書籍はより手に取りやすくなっていると思いますが、一方で今の若い人たちは昔に比べ圧倒的に読書時間が減っていると思います。経済についてのみならず、難しい時代を生きていく上で、読書経験はとても大切です。読書は自分の経験できないことや自分の頭では想像し得ないことを追体験したり、考えるきっかけを作ってくれます。若い人たちにもっとたくさん本を読んで欲しいと思います。

― 本日はお忙しい中、ありがとうございました。




一橋大学 齊藤誠先生

【おすすめ書籍】

ヒロシマ・ノ-ト(岩波新書) 

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大江健三郎/岩波書店

森嶋通夫著作集<12> 近代社会の経済理論 

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森嶋 通夫/岩波書店

数量経済分析の基礎

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佐和隆光/筑摩書房

※残念ながら品切れとなっております

経済思想(モダン・エコノミックス) 

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猪木 武徳/岩波書店

※残念ながら絶版となっております

所得と富(モダン・エコノミックス) 

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石川 経夫/岩波書店

新しいマクロ経済学~クラシカルとケインジアンの邂逅~ 新版 

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斉藤 誠/有斐閣

マクロ経済学(New Liberal Arts Selection) 

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斉藤 誠/岩本 康志/太田 聡一/柴田 章久/有斐閣

競争の作法~いかに働き、投資するか~(ちくま新書) 

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斉藤 誠/筑摩書房