日本経済史・経営史:研究者のひろば コラム

異端の試み

第2回(3) 帝国主義の経済構造について(2)

武田晴人

第2回(1)従属をどう捉えるのか/熟練労働力の質の問題
 (2)独占資本主義と労資関係の変化
 (3)調停法体制と普選治安維持法体制
 (4)入超構造の捉え方と過渡的性格/橋本寿朗説と武田説の相違点

調停法体制と普選治安維持法体制

武田先生の調停法体制論についてですが、それまでも指摘されていた普選治安維持法体制でとらえる方がより広く、一般的な捉え方だと思いますが。

武田:普通選挙の経済的な意味をどう説明するのかが問題でした。政治的なシステムと経済的なシステムの両方を統合的に理解できる捉え方、言葉が必要だったのです。普選・治安維持法体制は政治史の捉え方として広く受け入れられた通説です。それを百も承知のうえで、普選治安維持法体制が経済的な独占資本主義、あるいは帝国主義的経済構造の成立とか金融資本的蓄積様式の形成とかにどうつながるかを問題にしたかったのです。そのつながり方を調停法体制と表現して追究しようとしているわけです。「調停法体制」というのが、普選治安維持法体制と独占段階の資本主義をつなげる媒介間の位置に置かれているのです。適切であるかどうかは別として両方に橋をかけたかったので、片一方に寄った言葉では困るのです。

 普選治安維持法体制に経済的インプリケーション、あるいは経済史的段階把握につながるインプリケーションがあると主張できれば、私はそれに反対しません。私にはそれがとても思いつかないから、別に考えることになった。独占が成立すれば必ず普通選挙ができたわけではないことは歴史的に事実が示している。独占が成立すると反体制運動を弾圧する法令が制定されたのかということも事実に即して評価される必要がある。いずれも日本固有の問題なのです。それでは両方はどうつながっているのか。そのときに、独占的なシステムは、中核部分の安定装置を独占とか基幹労働力を内部化・内部市場化というかたちで取り込む。しかし他方で周辺部分には常に紛争を残す。労働運動が残るし、小作争議というかたちで農民たちの不満もでる。そうした問題に、本来であればそれぞれの権利を認めた上で紛争解決の手段を用意するはずです。ところが、日本の場合は権利関係を定めた法律を定めないまま、小作調停法とか労働争議調停法とか借地借家人調停法とかを制定して、問題がおこるとその法律に基づいて処理できる。そんな調停を拒否する人は、左翼の運動に流れていくので、それは弾圧する。そこに治安維持法は構えている。

 そして体制の内側に戻ってきた人たちには選挙権を与えて内側につなぎ止めようとする。外にはみ出す人々に対しては厳しく弾圧するし、内側に戻ってくる人は普通選挙法でとりこむということになる。このよう普通選挙と治安維持法という仕組みと紛争調停のシステムがセットになっていると考えればよいと思います。

金融資本概念と金融資本的蓄積の意味

武田論文では、それまでの研究で用いられることが多かった「独占資本」ではなくて「金融資本」という概念を使っていますが、これはどんな意義があるのか。

武田:金融資本という言葉を具体的な資本を規定する概念としては使っていないことが重要なのです。その点が柴垣さんたちまでの議論と私とが違っているところです。

 それまでの研究が金融資本概念を使わなくなった理由は、この概念がドイツ固有の概念で、明快ではないということでした。金融資本は「銀行資本と産業資本の癒着」と規定されていたのですが、「癒着とは何だ」と問われたら説明が難しい。どういう状態が癒着というのが適当なのかもわからないし、わからないために同じような先進資本主義国であり、帝国主義体制にあるといわれていたイギリスやアメリカについて実証的な研究をする際に、どのような基準で分析するかも曖昧になる。ヒルファディングの『金融資本論』では特殊ドイツ的なものを一般化した面があると批判して、スウィージーが資本主義の発展段階を論じるうえでは「独占資本」を用いるべきではないかと指摘していました。

 石井説とか高村説は基本的にはこの考え方を支持するかたちで、独占資本主義という概念を使って議論を展開しました。しかし、この独占資本主義論の最大の難点は、産業における独占と、独占資本主義とを、独占という同じ言葉で表現するので、体制概念としての独占資本主義と産業部門での独占を区別しにくいことです。すぐ混同される。混同の最大のものは、いくつかの産業部門で独占が成立すると独占資本主義になると捉えるものです。それは混同ではないかもしれませんが、いったいどのくらいの産業で独占が成立すれば独占資本主義といってよいのかは、明示的ではありません。高村直助さんの独占資本主義論では主要な産業部門について、特定産業において、あるいは産業部門横断的な独占体が成立することをもって独占資本主義の成立を論じています。ここでは産業における独占と独占体を区別していますが、高村説では各産業部門の生産集中度が高まって独占が成立するとともに、綿工業と財閥と電力独占体という3つの独占体が成立し、それを通して独占資本主義が確立する。ここでは3回も「独占」が出てくる。これではわかりにくいから、それを分けたかった、単純にそういう発想です。

 もちろん、一つの捉え方として尊重されてよいとは思います。しかし、提示された範囲では正しい歴史認識だとしても、それに対して帝国主義段階の経済的内実としての独占体制が主要な産業部門における独占の成立を最大の特徴とすることに問題を限定してよいのかという疑問は残る。資本主義の段階的変化としてはそれだけではないということです。具体的には資本主義の発展に伴い、独占組織形成とともに株式会社制度が普及し、特定の有力な株式会社は資本市場に上場され資金調達ができるようになるなどのおカネの市場のあり方が変わる。労働力市場では労働組合による組織的な規制によって柔軟な賃金変動も労働力調整もみられなくなるし、部分的には内部労働市場が成立する。こうした市場のメカニズムの変化を統合的に捉えたい。単純に製品市場のメカニズムが独占によって変わっていたわけではなくて、お金の面でも労働力の面でも、マーケットのメカニズムが変わってくるところに特徴がある。

 こうなると従来からの独占論は製品市場にかたよった考え方なので十分ではない。何か新しい言葉を考えてもよかったのですが、マルクス経済学の古典に戻って「金融資本」という言葉を引っぱり出してきて、それを「金融資本的蓄積様式」という帝国主義段階の資本蓄積の特徴を総体として表す概念として使いたいと考えています。「癒着」という形態的な捉え方ではなく、資本蓄積という機能的な意味を持つ言葉として使うことを考えたのです。そのキーワードには独占もあり、労働市場の変化とか、社会的資金の動員とかを入れて考えたいと提案した。

 独占という概念では産業部門の独占と体制としての独占資本主義との区別が混同される危険があるので、これを分けて考えられるように違う言葉を使おうとしている。そのときに既存の言葉を定義し直して使っただけなのです。それが「金融資本的蓄積」という概念です。それまでの研究史のなかでの批判をふまえていますから、具体的に銀行と産業での癒着があるどうかを問題にするものではありません。また具体的に財閥が金融資本であるかどうかという議論をする必要もありません。財閥に注目するとしても、財閥を中心として構成されているある段階の資本主義が金融資本的蓄積様式として列挙した構造的な特徴を備えているかどうかが問題だというスタンスに立っています。その時には、中心にいるのは財閥だから、財閥は金融資本かと聞かれても答える必要がないというわけです。金融資本概念については、また別に話す機会があると思います。

第2回(1)従属をどう捉えるのか/熟練労働力の質の問題
 (2)独占資本主義と労資関係の変化
 (3)調停法体制と普選治安維持法体制
 (4)入超構造の捉え方と過渡的性格/橋本寿朗説と武田説の相違点