東北大学元文学部長 渡辺信夫名誉教授(弊社作成のパンフより) 狩野文庫、その名は東北大学文系の顔である。大家・研究者が文庫閲覧のために 仙台詣でを行う話は枚挙にいとまがない。狩野文庫がわが国有数の和漢古典の大コレクションであることは、夙に知られている。戦前より国宝に指定されている『史記 孝文本紀』『類聚国史 巻第二十五』の二点 をはじめ、和漢古典の貴重書はきわめて豊富である。いまなお書誌的新発見があるのも故なしとしない。同文庫普通本のなかから、国史大系などで知られる類聚三代格の欠失部分を補い、誤脱を補正しうる狩野本が発見され、日本史学会に大きな驚きを与えたことは記憶に新しい。近時江戸文化に対する国内外の学問的関心が高まっている。そのためにも、江戸期史料の多様性をあらあためて認識した実証研究が期待されている。 【狩野亨吉のこと-司馬遼太郎】 明治の思想家、哲学者、そして教育者でもあった狩野亨吉(1865~1942)は、とびきりの秀才で、34歳で第一高等学校の校長になり、40歳頃京都帝大初代の文科大学(文学部)の学長に招かれました。しかし狩野は2年もすると辞めてしまいます。官職を捨て東京に戻った彼は、江戸時代の古本を片っ端から読みました。古本屋に頼んで買い集めた本の殆どは、無名の人が書いた筆写本でした。一生独身で通し、それまでの蓄えを全てつぎ込みました。明治人は、苦しみが多かったのですね。彼は東京帝大の理科大学で数学を専攻し、文科大学で哲学を学びました。彼が悩み続けたことは、「日本人には独創性があるか」ということでした。維新後、日本は国際社会に仲間入りして、国家をヨーロッパ風に仕立て上げる。学問もヨーロッパ風にする。それらはうまくいっているが模倣にすぎない。このままで日本人は大丈夫だろうか。日本人に本当に独創の才能があるのか。狩野亨吉は思いつめ、それを調べるための古書集めだったのです。 1987年9月25日仙台市民館 仙台市市民文化事業団第1回文科講演会より |
狩野文庫マイクロ版集成
全10門 全2,322リール 全21,580件 ¥55,728,000(本体) |
狩野文庫マイクロ版集成 補遺版
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狩野文庫第4門:語学・文学 単品複写サービス
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