第17回 | (1) | 1.大石嘉一郎の産業革命研究/産業革命期研究への関心/大石説の特徴と宇野理論 |
(2) | 二部門定置説を再評価する/再生産論の具体化という方法/産業構造から経済構造へ、そして階級構造の分析 | |
(3) | 綿業中軸説の基礎としての宇野理論 | |
(4) | 質疑 |
大石さんの産業革命論のなかで、主たる批判の対象となっている捉え方が「綿業中軸説」と名付けられたものです。労農派の見解を受けた形で理論的に洗練されてきた「宇野理論」を基礎にして、大内力さんや高村直助さんなどが主張したのが綿業中軸説です(大内力『日本経済論 上』東京大学出版会、1961年、高村直助『日本資本主義史論』ミネルヴァ書房、1980年)。
綿業中軸説の説明を進める前に、まず宇野理論の持つ特徴を簡単に見ておくと、①経済理論を現実の経済を分析する際に有用な道具とするために中間理論としての「段階論」を構想したところに積極的な意味があり、②その基盤に労働力の商品化を資本主義の基本規定とする理論体系であることです。つまり経済理論としては、労働力を商品化したことに資本主義経済制度の特質を見出すとともに、そこに横たわる『無理』が資本主義経済制度の限界を予告するものと考えています。
この宇野理論の段階論を大内さんは、日本のような「後進国型」資本主義を認識するために必要な枠組みと位置づけています。そこには、一方で、戦前の講座派が、資本主義の一般理論を適用して日本経済を分析し、一般理論からの逸脱をすべて半封建的と見なす誤りを犯していたこと、これに対して、労農派は、講座派を批判しつつ、他方で、資本主義は発展すれば、同一の発展のパターンに近づくと考えていたために、これも現実的な分析として成功しなかったという資本主義論争に対する批判、反省があります。
ただし、これについて私見を付け加えておくと、宇野さんの段階論では自由主義段階における段階としての特質は必ずしも明確ではないのです。帝国主義段階などについては独自の議論があるとは思うのですが、自由主義段階についての説明は資本主義への純化の傾向を示すという捉え方に立つ限り、原理的な世界の捉え方と区別がなくなるからです。大内さんの説明の仕方に沿って考えると、自由主義段階への移行を画する産業革命では、衣料生産の機械制工業化がそれまで農業と結合されていた自給的家内工業を決定的に破壊し、商品経済を全社会的におしひろげることが最も重視されます。これが労働力を商品として支配することが資本にとって可能になる基礎を与える条件になるというのが、宇野さん、そして大内さんの自由主義段階、産業革命の捉え方です。
この議論は、労働力の商品が進展することが産業革命の本質だと考えているところにあります。繰り返しになりますが、伝統的社会の生産活動は単に農業生産に集約されたのではなく、農業生産と結合している手工業生産が一体化しており、封建社会における農家経営はそれらを複合的に経営している主体となっているとの捉え方が前提になっています。このような関係を機械制大工業の製品が破壊し、手工業生産を壊滅に追いやり、農家経営の基盤が揺らぎ農民層が分解していくと想定しています。これが綿業中軸説の基礎にある考え方で、言い方を変えると、綿業中軸説の特徴は、自動的な農民層分解進展説であり、それは商品経済の浸透力を前提としているのです。そこでは、資本家的生産によって生産される商品の価格と品質が、否応なしに、農家の家内工業生産を破壊し、農村を商品経済に一方的に巻き込むことになると見ています。だから、大内さんが「われわれは資本主義は産業革命を契機として確立するものとして理解するが、それは必ずしも資本家的生産が生産の大部分を占めるにいたるという意味ではない。たとえ量的には部分的であっても経済全体の動向を左右するような基軸産業において資本家的生産が確立し、資本主義に固有の経済循環が規則的に現れるようになれば、それをもって資本主義の確立と考えることができるという意味である。循環的恐慌の開始をその指標とするのはそのためである」(大内『日本経済論 上』2000、p222)というとき、そこでは衣料生産の機械制大工業化を契機に産業革命が農民層の分解を伴って自動的に進むかのように語り口になります。
このような捉え方はもともと宇野理論が新古典派の経済学と共通点を見いだせるような純粋資本主義を想定することに由来するように思います。市場メカニズムの自動的な調整過程を想定しているのです。
しかし、本当にこの過程は自動的かつ不可逆的に進展するのかと考えると、最低限同意できるのは、この説明の最初のステップで労働力が余ることだけです。これは間違いなさそうです。手工業生産から機械制大工業にある分野の生産が代替されれば、単位あたりの生産物に必要な労働量は減るのですから余ります。このようにして農家経営が副業的な手工業生産を放棄させられることになれば余ります。しかし、余ったからといってそれが市場で労働力として売ることができる、雇用機会が発見できるとは限りません。大内さんは日本資本主義を論じるときに、過剰労働力の圧力が強いことを強調しています。それは後発国であるために資本の有機的構成が高い生産技術が導入された移植産業が発展するために相対的には雇用吸収力が弱いからだと説明されています。だからこそ過剰労働力が低賃金に帰結するとともに、潜在的に過剰化する労働力を抱え込まされる農家経営では高率小作料を競争的に受け入れさせられていると説明します。つまり、実際の歴史過程の説明でも、余った労働力が新たな雇用機会にであうことで生存を保障されるようなプロセスになることは説明されてはいないのです。しかし、理論的にも現実的にも、過剰労働力が吸収されていくような雇用機会が創出されるというシナリオを想定できないとすると、過剰な潜在的失業状態は社会を不安定化するのではないかと思います。もし資本主義が新時代を切り拓く生産様式だとすれば、経済社会の安定性を損なうという捉え方では問題があると私は感じています。
宇野さんの理論的な想定では、失業者や過剰人口は資本主義経済システムの外側に存在しています。宇野理論における純粋の資本主義では、労働力は資本主義経済システムにある程度自由に出入りする。理論とはそうしたもので、つまり過剰人口のプールを農村や都市のスラムなどの非資本主義セクターに現実には依存するのですが、そこはまさしく非資本主義的なセクターですから、その内部のメカニズムまでは経済理論が説明する必要がないと割り切っています。景気循環によって必要な労働力量は変動します。それはその社会の人口の規模という大枠に制約されているとは言っても、ある程度の範囲内ではその変動を許容するのです。このような理解は、現実の社会に移してみると、資本主義社会が市場メカニズムの上で機能するようになったとしても、その作用する範囲は部分的だということです。そしてこの非資本主義セクターというバッファーを食いつぶしながら、資本主義は社会に広く浸透していくことになりますが、それが社会的に安定したシステムであるということを、資本主義論として説明するためには、労働者の生存が保障されるような仕組みであることを説明する必要があります。
その意味では、資本主義的な商品による市場メカニズムの浸透によって伝統的な農村社会、共同体的な関係が解体されていくだけでは不十分だと思います。資本主義はそうして生じる農民層の分解によって生存の危機に陥る労働者の予備軍を本隊に組み入れていく、つまり雇用を拡大していくメカニズムであることを説明する必要があるのです。この説明を省略すると、安定的な経済システムが形成されることにはならないので、問題があると思います。
もしそのようなことを考えるとすれば、資本主義的な経済システムが拡張していくこと、つまり資本家的な経営が拡大しそこに雇用される機会が創造されていくことによって労働力が生活の糧を得られるようになるというプロセスを考える必要があります。現実にそれは産業の発展を通して見出されることですから、特別なことではないのです。しかし、だからといって、たとえば衣料生産で機械制大工業が成立すれば、関連産業も自動的に発展するとは限らないでしょう。関連産業の発展や補助的なサービスなどのニーズに対応した企業発展が実現するという条件が必要になります。このことは植民地プランテーションがその領域の経済をモノカルチュア化させるだけにとどまることを思い起こせばわかりやすいと思います。そこでは経済発展はかなり歪んだかたちになり、それこそ貧困の再生産が続くことになります。
仮に資本主義の基本的な特徴が、宇野理論が主張するように労働力の商品化にあるとして、これを各国資本主義の「現状分析」に適応しうる媒介理論としての「段階論」として構成する際には、商品化の歴史的なダイナミズムを具体的に分析しうる視点を明示する必要があるという限りで、綿業中軸説には問題があるのです。
従って、一般的には、第一に国民経済の形成が地域間分業を介した全国的な市場経済の展開として見出されることが資本主義経済の成立の前提になります。なぜなら、このような条件が形成されることによってはじめて、資本家的な商品が自給的生産を破壊していく回路が形成されていると考えることができるからです。この回路を欠いては、商品が流通し浸透していくことはないだろうと思います。第二に、綿業中軸説が注目するように、自律的な機械制工業の発展とそれによる農村家内工業への破壊的な影響が浸透することになりますが、そのうえで、第三に重要なことは、農村社会の動揺を抑制し得るような社会的基礎の形成、つまり一方で国家の救貧政策が施されるとしても、より本質的には市場経済の発展に伴う雇用機会の増大を通して経済社会の安定性が確保されることが重要だということです。
高村直助さんはこのような問題を意識して大内説を部分的に修正し、国民経済の自律性への配慮を「その円滑な再生産の諸条件の確定」という形で表現しているようです。しかし、その議論は実際には生産財生産部門での自給度の向上というような、産業発展が輸入代替をつうじて進むことを重視する議論です。このような視点は、モノのレベルでの順調な循環が可能になるという意味で、講座派的見解(二部門定置説)に歩み寄っているのですが、それだけだと、宇野理論が強調する労働力商品化論との関係が明らかではありません。なぜ、モノのレベルにこだわるのか。賃労働はどのように議論されるのかについて、明確な議論が必要だと思います。モノのレベルの議論という点では、高村さんの意見は大石さんの産業革命論と共通性が高く、争点が見出しにくい議論になりました。
これに関連して注目しておきたいのが石井寛治さんの「二部門定置説」についての理解です。『日本経済史 第2版』(東京大学出版会、1991)では、山田『分析』の視点を基本的に継承するとはいえ、その際には階級社会の成立を産業革命の意義を論じる上で重視しているようです。つまり、産業革命とは、全社会を資本家と賃労働者の両極に分裂せしめていく原始的蓄積の最終局面=資本制蓄積の全面開始期であると捉えて、そこでは、資本家は機械制大工業経営において賃労働者への支配を完成することが重視されています。これは、熟練労働の無力化(熟練労働力を排除するというマルクス経済学の視点)を雇用労働者の内実に即して理解するという意味でも重要なものです。このような視点は石井さんが製糸業の分析を通して器械製糸業という手工的な熟練に依存した生産工程をもつ産業で資本家的経営がどのようにして成立するかを考えることを通して明確にした論点、具体的には等級賃金制によって熟練女工といえども自らの裁量で労働することはできず、資本家の求めるように働かされる、つまり資本によって賃労働の支配が貫徹するという議論に基づいています。こうした捉え方によって、機械制大工業のような労働の単純化だけではなく、他の方法によっても資本の賃労働支配は形成されうることが示されたのです。つまり、経営の中で熟練労働力の抵抗が無力化されれば、それを根拠にして資本家的経営が成立するというわけです。従って石井さんの産業革命論は、①機械制大工業の成立によってマクロ的に見れば、安価良質の製品の大量供給による商品経済の浸透をもたらす影響を認める一方で、②ミクロ的に見れば、労働の現場の主導権の争奪にかかわって、資本家的な企業経営成立の根拠を明確化し、これを指標とすることを重視するものということができます。
このほか、石井説では、綿業中心説に対して、イギリスでも衣料生産が農村家内工業として営まれていたという事実は根拠に乏しいと批判しています。つまり、綿工業の発展に先行する衣料生産の主力が毛織物工業であり、それらは地域間の分業を基盤に統一的な国内市場を形成していたこと、これが綿業における機械制生産が国民経済に急速にかつ広範囲に影響を及ぼし得た歴史的前提をなしていることを指摘しています。ここでは商品経済関係の浸透が先行しており、綿業の産業発展が切り拓いた商品経済関係という綿業中軸説とは逆転した関係として捉えるべきだというわけです。このようにイギリスの産業革命において綿業の過大評価があることを批判しています。
私は、こうした議論に対して、確かに紡績業は日本の産業構造の基軸産業であったけれども、明治30年代から40年代にかけて産業構造を変容させるようなリーディングセクターは重工業部門に移動していることを示すことによって、二部門定置説が強調してきたような産業構造の変化が進展していると説明しています。それは、個別にモノのレベルの国産化などを論じるのではなく、産業構造の変容をもたらすような力を重工業が持ち始めていることに産業革命の進展・成果が見出されると主張するものです。
意図していることは、二分門定置説を「後進国日本の産業革命」に適用する場合に、不均衡な産業発展のために、産業革命の終期の確定が困難であるとか、農民層=中間層の分解が不十分であるなどの問題点は同意できるのですが、「生産手段の国産化の方向が確定した時期」を終期とするなどの主張は、生産手段生産部門の量的な劣位に囚われすぎた議論という印象があり、このような議論を改めた方がよいということです。確かに、イギリスと比較すれば産業発展の不均衡は著しいのですが、基軸産業としての繊維工業と主導産業としての重工業部門という捉え方で、明治後半期の産業構造の変化を捉えることで、二部門の意味は無理なく理解できるというわけです。これが武田「産業革命期の需要構造と産業構造」の主張点のひとつになっています。産業構造の変化に注目し、資本主義経済システムが自律的に経済発展の主導力となり、確実に雇用の機会を生みながら展開し始めたことを意味していると理解することによって、綿業中軸説がもつような不十分さ克服しながら、モノのレベルの問題に拘っているように見える講座派由来の産業革命論の問題点にも解決の道筋をつけようとしたのです。
以上が方法的な問題です。最後に『日本産業革命の研究』上下のその後の研究に与えた影響とか、注目した論点について簡単にふれると、実証的な論点では、この書物とこれに結実する各執筆者の研究が与えた影響は極めて大きいものがあります。高村さんの綿業論や石井さんの製糸業はもちろんですが、①第二章で、産業貿易構造に関して、名和統一の三環節論を批判し、分断的産業構造と分裂的貿易構造論を提示したこと、②第五章でそれまでの流通独占に偏っていた財閥論に対して、鉱山業を中心に財閥資本の蓄積を描いたこと、 ③第六章で官営工場における「ワンセット生産体制」を指摘したこと――このワンセットという捉え方は宮崎義一さんの企業集団論に出てくる表現を借用したモノと思いますが――、④第七章で地主制と資本主義の同時確立説を唱えたこと、⑤第一〇章で「綿米交換体制」として植民地化以前からの「植民地」朝鮮の支配の意義を論じたことなどは、その後議論が重ねられることになります。