第17回 | (1) | 1.大石嘉一郎の産業革命研究/産業革命期研究への関心/大石説の特徴と宇野理論 |
(2) | 二部門定置説を再評価する/再生産論の具体化という方法/産業構造から経済構造へ、そして階級構造の分析 | |
(3) | 綿業中軸説の基礎としての宇野理論 | |
(4) | 質疑 |
質問 産業革命論の指標の一つとされる「中間的利害」とは何ですか?
武田 中間的利害というのは、資本主義社会の基本的な階級構成を理論的には、資本家・賃労働と考え、これに地主を加えた階級構成からはこぼれる人たちの利害です。具体的に小生産者としての農民が代表的な存在で、これがなぜ中間的な存在かというと、農民層の分解を通して資本家と賃労働に分離していく以前の存在であり、資本家でプロレタリアートでもない存在だからです。資本主義社会が階級構成面で純化していくとすればこうした存在は分解されていくので、中間層が残っているのは未分化の移行期と観念される。ただし、ここでは「中間的利害」ということですから、実態として小経営者がいなくなることが問題ではなくて、あくまで利害意識の問題なのです。従って、小生産者が独自の利害を主張するという条件を失って労働者とともに社会的な弱者として労・農の広い利害の一致が成立してくるようになることが「利害の消滅」になります。この説明からわかるように、資本・賃労働が基本構成だという資本主義論からは演繹的にはそのような指標に意味を与えることはできますが、これを実証的な指標とすることは無理のように感じています。家族労働力に依存している農家とか商業者などの小経営を、経営体として捉えようとしても、雇用関係は擬似的にしか存在しません。その経営が「収益の最大化」という行動原理に従っていると捉えようとしても、それは観察する側の都合で設定されている仮定に過ぎないので無理があります。もともと資本家とか賃労働者もその社会的な機能に即して規定されているので実態としての人間のあり方には、この機能では捉えきれない多様な側面があります。そして農家経営はそれ以上に曖昧な存在です。前近代社会における農家経営は資本家的な経営への萌芽的な性格を持つことは、大塚久雄さんのモデルなどでも想定されていますが、これはそうした変質を経て資本主義社会が生まれてくるという説明の中でのことですから、農家経営は資本家的経営の性格を備えていないのが基本的なあり方として前提になっています。そうした社会階層が近代社会の形成、産業革命の進展とともに解体されていく、少なくとも独自の利害を主張できない性格を帯びるようになることが問題になっています。そういう状態になれば、資本主義的な経済関係が支配的になったということもできるという意味で、資本主義の確立の指標として利害意識の変化に注目しているのです。
質問 資本家的経営の成立と熟練労働力の抵抗の無力化について、現実には熟練技能の意味は残っているので、そこでの制度的な工夫の意味をもう少し説明してください。
武田 ここでは、資本家的な経営の成立は、資本の指揮のもとで生産現場では最大限の労働支出を強制するような仕組みができることだと考えています。そうすることで企業は最大限の効率性を追求する、収益の最大化に従う組織として成立するということです。
この「熟練の無力化」という議論は、もともと紡績業における単純労働化が生産工程における熟練労働力の抵抗を排除して経営の自立性をもたらしたという理解に基づいています。機械制大工業の意味をそのように捉えたうえで、もしそうであれば、他の産業ではどのように議論するのか。単純に考えれば機械技術体系の採用によって単純労働化がほかでも観察されるという視点になりますが、それでは、日本の製糸業や石炭鉱業では資本家的経営の成立は昭和初期かそれ以降になる。それでよいのか。あるいはイギリス鉄鋼業のパドル法が作業の「機械化」と評価できる技術水準なのかという疑問が生じてきます。そうした機械技術の変化ではなく、技術進歩が与えた本質的な変化が熟練を排除することで生産現場に対する資本家の支配、使用者の裁量に従って作業が滞りなく進められるようになることにあるとの理解から、そのような特徴的な変化に即して捉えなおそうと考えているのです。
これは資本主義という経済システムを捉えるうえでは本質的なことだと思います。なぜかと言えば、市場経済メカニズムが資源配分を効率的に実現していくためには、市場のプレーヤーとなる企業が効率性を追求するような組織でなければなりません。それが成立しなければ、市場は期待されるような効率性を実現できないからです。そして、企業がそのような性格を持つためには、生産現場における最大限の効率性が追求されなければなりません。熟練労働の存在は、このような条件を満たすことを制約するものです。
もし熟練労働の供給に制限があるとすると――単純労働の無制限供給のような状態ではないとすると――資本家はその熟練労働者を思うように働かせることができるかどうかは重要な経営課題になります。出来高制のような制度を工夫するのがその解決策の一つなのでしょう。その場合、標準作業時間とかを正確に把握して、それを基準に成果を評価して賃金を払えば労働者の働き方は変わるかもしれません。ただし、近代初期に使用者側が直面した問題は、経営の計画に沿って働いてもらうことが熟練労働者に対しては難しく、そのために効率的な経営が損なわれたという現実なのです。なぜそうなるのかは、歴史的にみると熟練労働者は賃金の最大化を必ずしも自らの行動原理にしていなかったという実態から出発しています。ここでは経済学の仮定、経済主体を「経済人」としての原理に沿って行動するという仮定が意味をなさないのです。もともと、人が働くときに収入としての賃金が最大になるように努力するというのはフィクションでしかありません。産業化の初期には就業時間も守られず、その日その日の課業がどの程度遂行されるかは、労働者の裁量に委ねられていました。もし供給に制限がなければ解雇という脅しが効くでしょうが、代わりがいなければ労働者の交渉力が強く、経営の支配力は損なわれてしまいます。もっと働かせようと高い賃金を払うとすれば、経営の収益性は低下します。だから、どうやって彼らの行動を使用者の計画に沿うように管理するかが課題だったのです。こうした条件が満たされない限り資本家的経営としては不十分だったと、この議論では考えています。
もちろん、どのように制度的に工夫をしても労働者という人間の気儘さを完全にコントロールすることはできません。課業をマニュアル化し、賃金制度を巧妙に設計することは繰り返し試みられてきましたが、それは現代に至るまで完全に成功したとは言えないでしょう。その意味では資本家的な経営の成立にかかわる「支配」の評価は程度の問題ということです。能率給などの賃金制度が議論されるとき、労働者も賃金の最大化を望んでおり、それを唯一の原理として行動すると仮定できれば、制度の設計は不可能ではありません。しかし、そうした制度のもとでも労働者は賃金の上昇ではなく、従って所得が減ってもオフの時間が増えることを選択するかもしれません。また、10時間も12時間も残業を含めて働く労働者が、実は所定の8時間でできる仕事を引き延ばして残業しているだけということもあり得ます。こうした事柄は近代的な経営体が成立したあとに観察されるものですが、そのような意味で資本の賃労働支配が十分にできるということも理論的な想定として近似的に捉えるべきことです。繰り返しになりますが、それでも熟練労働力の抵抗が無力化する、つまり彼らに経営の計画に従った作業を遂行することが十分に期待できなるような制度的な工夫ができあがる、つまり資本家の裁量に従って作業現場が動くということが、資本家的な経営の成立には不可欠だったのではないかと考えています。
質問 宇野理論からの産業革命論をもう少し説明して下さい。
武田 産業革命に関する大内説との関係を考える上では、まず宇野理論の段階論の受け止め方が問題になります。すべてがそうだとは言えませんが、宇野理論を前提とする人たちにとっては、日本経済論と日本経済史はまったく同義で、区別がありません。宇野弘蔵の「三段階論」という分析枠組みで提示されている「現状分析」は、段階論を前提としながら具体的な資本主義経済をあるがままの特質に即して分析することを課題とするものです。一般的には、現状分析という言葉は「現在の分析」という意味でしょうし、マルクス経済学者たちの間では帝国主義以後の、つまり第一次大戦・世界大恐慌以降の国家独占資本主義の時代を分析するというくらいの意味だったと思います。
しかし、宇野理論では、各国経済の具体的な分析は、発展段階を論じた「段階論」が参照基準とされるとはいえ、それをそのまま適用することはできないと考え、それらは「現状分析」として行われるという立場に立っています。だから、産業革命期の日本資本主義を分析するのも、段階論を基準にした「現状分析」になるのです。宇野理論を基礎として段階論を適用して現状分析をすることは、一般に想定されている「歴史的分析」と論理的には同じものになるのです。宇野理論では、「現状分析」とはなにも現在を分析することではなくて、その国の固有の現実に即して分析することなのです。従って、最近の『20世紀資本主義』のような捉え方は、彼らにとって現状分析としての問題提起ではなく、基準とする段階論そのものが見直しを迫られていることを宇野理論の系統に属している人たちが告白しているのです。
誤解されている面があるかもしれないのですが、宇野理論の三段階論とは「原理論」「段階論」「現状分析」によって構成されるものです。言葉からみても、その内容から見ても、「段階論」は資本主義の発展段階論ですが、それは「重商主義段階」「自由主義段階」「帝国主義段階」の連続する3つの段階を提示しています。しかし、こちらの3つが三段階論という意味ではありません。「原理論」を基準に具体的な経済分析に使うためには、中間理論としての「段階論」を必要とするというのが宇野理論の特徴です。つまり、宇野理論では、経済理論を具体的な経済分析に使うときには、段階論に示されるような歴史的な変化を取り込んだ中間理論を媒介項にすべきだと考えます。経済学的な原理、理論体系は具体的な経済のあり方を分析する上では抽象理論にすぎるからです。
宇野弘蔵さんがこのような理論体系を提出したのは、日本の経済学研究に対する深刻な反省からだったと言われています。日本資本主義論争での議論の混乱が、マルクス経済学を基盤とする経済理論を直接的に適用したことが理由であったと考えていたのです。そのために、資本主義経済の基礎的な理論を明らかにする原理論をマルクスの『資本論』をより純粋の論理としてつきつめていく一方で、その直接的な適応を避けるために段階論を設定したというわけです。
やや広げて言えば、現在でも経済史研究では事実に即して事実からスタートする人と、理論からスタートする人がいますが、その理論からスタートする人たちと、宇野理論に基づく日本経済論、現状分析としての日本経済史は同じ方向からのアプローチ、つまり理論からのスタートになります。ただし、重要な違いがあります。宇野理論の原理論では、純粋の資本主義を想定して経済理論を洗練させていくことを意図していました。このような理論の枠組みは、完全な市場を前提にして価格理論などを組み立てていく新古典派の経済理論と近似しています。そうした理論体系に対して、宇野理論ではこれを実際の経済分析に用いるためには段階論という中間理論が必要であり、もともと理論そのものは現実分析に対して抽象度が高すぎるという判断をしているのです。これに対して、最近の企業の理論など近代経済学の理論を用いた議論では、宇野理論が慎重に避けていた理論の歴史的な現実への直接的適用を躊躇なくやっているという意味では、大胆なものです。もちろん、理論体系の方がより現実的な枠組みに改善されていれば、そうしたアプローチが可能になるということもあるでしょう。しかし、そうした面での点検をせずに理論を現状分析に直接的に使おうとするのは、日本の経済学研究の歴史に対して無神経というか、逆行しているような気がします。この点は、宇野理論を支持するかしないかにかかわらず、広く理論的な枠組みを参照基準にしながら経済の現実にメスを入れようと考えている研究に携わるものは、常に考えておかなければならないことだと思います。
宇野さんが批判的にみていた日本資本主義論争における議論の混乱の例としては、山田盛太郎『日本資本主義分析』における「再生産論の具体化」という分析視角を取り上げて考えることができます。論理の問題としては注意を払うべき点を示していますが、すでに説明したように再生産表式を分析道具として使うのであれば、歴史具体的な分析ではどのように適応すればよいかは改め考えなければならないということです。具体的な分析道具として使うのであれば、2つの部門をどのように想定するかが明確にならないと、それぞれの部門での機械制大工業の形成とか、資本家的経営の成立を論ずることはできません。資本家的な生産の成立を論ずるのも簡単ではありませんが、どの産業をとりあげると二部門を代表できるのかも自明ではありません。単純に紡績業とか工作機械工業とかを取り上げればよいという話ではないのです。たとえば、綿糸紡績業は生産財を生産する第Ⅰ部門なのか、消費財を生産する第Ⅱ部門なのでしょうか。自動車はどうでしょうか。具体的な商品となると、この二部門の分割は使いにくいのです。綿糸は織物原料ですから、その点に注目すれば投資財ですが、イメージとしては消費財でしょう。自動車は現代の社会では「耐久」消費財ですが、タクシーやトラックに使われれば資本投資財です。
抽象的な理論を使って現実に存在する産業を分析するわけですから、無理があることは分かるはずです。部門の設定だけでなく、再生産論という理論が外国貿易を捨象していることも重要な障害になります。このように理論の歴史分析への適用に慎重であるべきだというのが、私たちが宇野理論から学ぶべき最重要なポイントです。
ただ、講義の中で話したように、宇野理論による産業革命期の、つまり自由主義段階の特徴の捉え方は、明快ではないのです。政策的に自由放任であったということは特徴になるのでしようが、自由主義段階は資本主義が資本主義として純化する時期とされてしまうために、帝国主義段階などと比べると、理論の直接的な適用の様相を呈するからです。それが大内さんの日本における産業革命についての議論に反映しているように思います。綿業を中心に農民層分解に焦点を絞り込むのは、歴史分析としては限界があるのです。
山田『分析』の「見通しの確立」という捉え方も随分と曖昧なものだと思いますけれど、そちらの方がより現実的な認識に近づこうという問題意識があるのかもしれないとすら思います。もちろん、見通しというものがそもそも確立するものなのかという疑問はありますけれど・・・
質問 外国貿易の位置づけと国民経済という単位での捉え方は適切だという立場でしょうか。
武田 実際の分析では貿易を考慮しないということは考えられませんけれど、貿易によって国境が意識されているということは、反射的に国民経済を分析の基本的な単位としているということだと思います。それは資本主義というのは、一つの経済社会を安定的に発展に導きうる、少なくともある時期まではそのような特徴をもつ経済制度として捉えていることを意味します。別の角度から言うと、マイクロなレベルでの資本家的経営の成立だけでは十分ではなく、国民経済の編成が資本主義的な経済原理に従うようになることを明確に認識することが課題として意識されているのです。
たとえば、次のような例を考えてみます。オランダ植民地ジャワで砂糖プランテーションが盛んになった状態です。そこでは砂糖輸出によって経済的産出量は拡大する。その中核にはプランテーションがあり、そこには経営者がいて賃労働を雇っている。この経営体は、資本家的農業経営といってもよいものです。つまり、ジャワの経済は資本家的農業経営を中心にして経済発展を始めていきます。しかし、それではジャワではいつ資本主義経済が確立されたと考えればよいのか。経済規模が拡大しても、それがモノカルチュアとしての内実をもっているとすれば、資本主義の確立という議論は当てはめにくい。とすれば、独立した国民国家が基本的な単位として、法的制度的な枠組みを整え、自立した企業経営が可能になり、その活動が連鎖的に産業部門の多様性を高めていく、そんな状態が理念的には想定されてはじめて、資本主義経済社会であるかどうかの議論ができるのではないかと思います。
その場合、経営主体の国籍が問題なのではなく、それぞれの地域を一つの経済領域としてみたときに自律的な経済発展が可能な条件があるかが問題になります。日本が資本主義化をしていく時代には、国家間の貸借関係が半植民地化、植民地化などの支配従属関係につながる危険性がありましたから、安易な外国資本の導入は警戒されていました。だから、現実の再生産には外国貿易が果たす役割が大きかったことは事実でしょうが、そうした場合でも貿易収支の健全性が損なわれることは自律性を低下させると考えられていました。そうした考え方があったからこそ、「従属理論」が生まれ、経済発展論では発展途上国の「工業化戦略」が輸入代替とか輸出志向が有力な選択肢となったのだと思います。今のように資本移動に制限がなくなり、同時にそれを介した権力的な介入のコストが高くなれば、中国のように外資導入による経済発展も可能になります。それでも議論の単位は国民経済です。
もちろん、ヨーロッパ大陸の小国などを考えても、国としては自立しているけど、経済圏としての自立性よりは、相互依存性の方がはるかに強いということもあると思います。その意味で、国民経済という単位の取り方自は、対象に即して設定される分析枠組みの問題に過ぎません。工業化の起点がどのようなものであったのかという関心であれば、大塚さんのような局地的市場に焦点を合わせることもあるでしょうし、黒沢さんのよう国境をまたいだ地域経済に注目することも当然選択されることはあります(黒沢隆文『近代スイス経済の形成』京都大学学術出版会、2002年)。
山田『分析』が国を単位としている背景には、1930年代という時代、そこではアウタルキー志向が強まっていたことがあったように私は思います。第一次大戦をきっかけに総力戦体制の経験などから、このような認識の枠組みが強まっていたのだろうと思います。その意味では、戦後の貿易自由化が進んだ時代、あるいは変動相場制の下で資本移動の自由が大きく拡張された時代に、それぞれの国が資本主義経済社会として展開していく時には異なる視点からアプローチが必要になると考えています。ただ、これは日本の産業革命についての議論とは別のものです。
質問 講座派の日本資本主義理解の根底にある「土地制度史観」とか、半封建性という特徴づけをもう少し説明して下さい。
武田 簡単にいうと、山田盛太郎の捉え方では、資本主義の個性は、封建制が解体していく過程における土地所有制度とか領有権の変化のあり方によって決まってくるというような理解になっています。労農派は、資本主義経済そのものを議論することに集中し、周辺的な部分に封建的な関係が残っていても資本主義社会の性格が先進国と異なるわけではないと考えているのに対して、農村における社会関係=地主制とか土地所有のあり方を重視するのが山田説です。この山田説では、土地所有のあり方が「基底」だという捉え方になっていますが、それは語義的に言うと「根」っていうような意味になります。つまり、資本主義という大きな木があったときに、それを支えている根っこの部分が土地所有制度であり、日本では固有に地主的土地所有という特徴を持っている。比喩的な表現だとは思いますけれど、この根からあがってくる栄養分で木が茂るという構図を描いています。土壌のあり方によって茂る樹木も、茂り方も異なるというわけです。
その意味で山田説は、論理的には土地所有制度が資本主義のあり方を規定していることになる。このような捉え方は資本主義論としてはかなり独特のものですが、どうしてそうした発想が出てきたのかについての手掛かりは、『分析』の序言のなかだったと思いますが、レーニンの『いわゆる市場問題について』とか『ロシアにおける資本主義の発達』を参照し、これと対立する議論となるローザ・ルクセンブルクの資本蓄積論に言及していることだと解釈されています。ローザは、資本主義経済発展は帝国主義侵略を必然的に伴うという主張をしたとき、この基礎にあったのは、国内的な市場が賃労働の搾取によって拡大に限界があるから、海外市場を必要とするとの捉え方を示しています。これに対して、レーニンは、帝国主義論に限定せず、社会主義革命の必然性を主張するために、ロシアは発達した資本主義であることを説明する必要に迫られていました。そのため、資本主義の発展が農奴解放後の帝政ロシアでも確実に進みつつあることを論じようとしたのが、上記の二つの著作なのです。そのために貧窮化した農民たちが支配的な地位を占めるような社会でも、資本主義発展が可能だということを農民層の分解が進んでいること、その基礎に社会的分業関係が進展していることなどを説明しようとする。たしかにロシアの経済は遅れているが、ロシア経済は確実に商品経済が浸透していくことによって、国内市場も拡大している。なぜなら自給的生産に依存していた農民たちが生活手段を買い求めざるを得なくなってきているからだというわけですが、そのようなかたちの資本主義発展は、農奴解放というロシアの事情によって特徴づけられているというわけです。
これまでの議論との関係で言うと、この資本主義形成の論理は、大塚さんの議論とも、あるいは宇野理論とも共通する階級関係の変化をもたらすような農民層分解を基軸に議論を進めているものだということになります。そして、このような捉え方を参照しながら、もし農民層の分解が資本主義発展の基盤になるとすれば、その分解のあり方を規定するような土地所有制度の変革のあり方にこそ、資本主義の個性を決めるものになるのだということを山田盛太郎『分析』は、主張していると理解されています。
つまり、農民層分解とは、それまで農民家族・農家経営を維持するに足るような土地をもって封建的な貢租を収めていた農民たちが、部分的にせよ土地から離れることになることであり、それは土地所有制度の変化、たとえば土地所有権の排他的な承認とか、特定の階層の人々による土地の集積などが生じることになります。年貢を納める社会が変わるというのはそういう側面をもっているわけです。それは農民を土地に縛り付けていたような身分制度の解体も伴うだろうから、近代社会の形成の基本的な要素になっている。だから山田説では、土地主要の変革こそ鍵を握るというような捉え方になっているのだろうと思います。地主的土地所有の封建制とか半封建制という議論に目が行きすぎると、そうした議論をすることの意味が分からないというような疑問も湧くかもしれませんけれど、論理の基礎にある捉え方はそれほど見当違いのものだとは思いません。いかがでしょうか。
質問 農民層分解の具体的な契機は、イギリスでは囲い込みと言われていますが、これはかなり特殊なものではないかと思いますが。
武田 確かにイギリスの事例は特殊だと思いますが、そのイギリスについて大塚久雄さん的な解釈もあるわけです。それは囲い込み運動がなかったとしても、農村社会内部における自律的な商品経済生産によって農民の階層分解は進展するというものです。これはあくまでも理念型的な経済発展のモデルのようなものですから、その通りに再現された現実がある必要はありませんけれど、説明のモデルとしてはそれなりの筋は通っています。すでに指摘したようにマイクロなレベルでの議論にとどまっているという問題があると私は思いますけれど・・・。従って、分解の契機は、外生的な要因によることもありうるし、内生的な要因でも進展しうると考えて具体的な分析をするという以外にはないと思います。
農民層分解論に注目するのは、資本主義論としては労働力の供給基盤になるからですから、その重要性は改めて説明する必要はないと思います。あえて強調しておきたいのは、この過程で資本主義社会が発展する上で重要な要件になる安価な労働力が供給されるようになるということです。農民が土地によって生活手段を得られるようになっている限り、農民たちは簡単には土地から離れない。社会的な移動のコストが高いからです。イギリスでは、これを強制的に土地から引きはがして都市の貧困層に堆積させることになるのですが、これは一般的なことではありません。従って、歴史的な変化としてみたとき、ルイス・モデルのような労働力の無制限供給は前近代社会に見出されるものではなく、この分解過程で生み出されることになる。身分制のもとにある封建社会では、賃労働の供給には強い制限があり、資本主義はそういう身分関係を解体し農民と土地所有との関係を際限なく崩していくことになる。しばしば前近代社会の方が低い生活水準であり、従って賃労働者予備軍が存在していただろうと想定しがちなのですが、これには狭い限界があり、その限界を資本主義は自ら打ち破っていくのです。だからこそ、そうしたかたちでは生存の不安を抱えるようになった多数の人々にどのようにして生活の糧を得る手段を用意するのか--この点はすでに強調しましたけれど--資本主義経済体制の成立という問題を論じる上では重要なのです。
質問 それでは土地所有における寄生地主制に関する半封建制という考え方についてはどのように受け止めればよいですか。
武田 まず、大石さんたちの世代を含めてそれからあとの人たちになると、土地制度が一方的に資本主義のあり方を規定するという考え方は、そのままでは継承されていないと思います。つまり、土地所有が半封建的だから、資本主義も半封建的という捉え方には立たないと言うことです。講座派の伝統をひく研究者たちは、寄生地主制は競争による高率小作料に基づくという労農派の説明では満足せず、農村社会の経済外的な社会関係が地主と小作との関係に強く影響を与えていると捉えています。その意味で半封建的な社会関係だと寄生地主制を捉えています。しかし、それは経済制度としてみると近代日本の経済社会では主たる経済制度ではなかったと考えています。経済社会を支える経済制度は同時に複数の制度を含むことが可能であるという考え方を、この議論の系列では「ウクラード論」と呼んでいます。史的唯物論に沿って出てきたものですが、特定の歴史的に存在する社会は「社会構成体」としては一つの経済制度によって特徴づけられるという考え方を拡張して、一つの社会には同時に複数の経済社会構成体=ウクラードが存在しうるという、それ自体としてはよりリアリティのある枠組みで考えていこうというわけです。この考え方に従えば、何時までということは確定できませんけれど、資本主義の形成期には少なくとも、資本主義というウクラードと半封建的と見なすべき地主制度とが存在しうる。寄生地主制まで市場メカニズムで説明する必要ないということになります。より一般的に言えば、資本主義経済というのは、資本主義的な経済制度あるいは市場経済が支配的になった経済社会であって、だから、資本主義経済だからといってすべてが資本主義的に運行されていると考える必要はない。同時併存している経済制度のなかでどちらが支配的なものになるかによって、その経済社会の基本的な特性が決まってくけれども、歴史的な存在としてのその社会は、この組み合わせによって個性的なものになるというわけです。
日本の地主制は、そうした視点からは、近代的な借地農業制とは明らかに異なるものと理解した方が現実に即している。そういう異質なウクラードを内包しながら、日本の資本主義経済は急激に発展していきますが、その両者が矛盾しない限り、両者は相互規定になりうる。もちろん、何らかの条件変化によって矛盾しあうようになれば、支配的なウクラードか非支配的で従属的なウクラードを解体に追い込んでいくこともあり得るのです。これが大石さんたちの産業革命期における寄生地主制の位置づけになります。
この議論は拡張することも可能で、資本主義経済制度が発展していくとき、その経済社会には小経営が広い範囲で残存することは、それほど珍しいことではない。資本主義経済制度は本来的に部分的にしか社会を包摂できないと言ってもよいと私は思っています。残存している小経営が資本家的な企業でないとしても、そうであるからこそ、その資本主義の発展は約束されているという変化が起こりうるのです。この歴史的転換点が産業革命になります。だから、歴史的には一回限りの出来事だということにもなります。