日本経済史・経営史:研究者のひろば コラム

異端の試み

第27回 番外編1 『日本産銅業史』の先に見えてきたもの

-私的研究史の方法的な回顧-

武田晴人

第27回(1)はじめに/1.研究の出発点としての産銅業史研究
 (2)2.方法的視点としての「コスト分析」/3.独占研究への展開
 (3)4.国民統合にかかわる「調停法体制」論/5.一国資本主義論的アプローチの限界
 (4)6.独占停滞論からの脱却と現代資本主義(国家独占資本主義)論
 (5)7.組織化という捉え方/8.産業から企業へ
 (6)9.「市場か、組織か」から「市場も、組織も」へ
 (7)10.市場の発展とその限界
 (8)質疑

2.方法的視点としての「コスト分析」

産銅業史のまとめに際して、一番困ったのは、さまざまに発見される産業発展に影響を与えたと考えられる要因をどのように整理し、その要因間の関係とか重要度を示すことができるのかということでした。最終的には、すでに別のところで話しているように、さまざま資料の中に散見される生産費、コストという情報で集約できるのではないかと考えました。賃金の高さと技術進歩に伴う生産性の変化は、労働コストにまとめられるだろう、原料や燃料の使用量や節約の程度などもコストに反映される。そうであれば、産業発展に影響を与えた諸要素の変動の結果がコストの変化に示されるし、たとえばコスト削減の効果という視点から、賃金の変化と燃料節約のどちらの影響が大きいかも説得的に示すことができるだろうということです。

 この発想は、私が会社史の編纂などに参加して、企業の内側で起こっていることを見る機会がたくさんあったことです。見ているのは現代の企業の現場ですが、それだけでなく企業資料として、何が重要視されていたのかも知ることになります。その中で印象的だったのが、現場のコスト意識の高さで、コストをどれだけ削減できるかということに強い関心を持っていることでした。コストは彼らにとって取り組んでいる現場での工夫や製品開発・改良の成果を測る重要な指標でした。そうであれば、私たち外部の観察者も同じような視点で企業の成果を評価できるだろうと考えて歴史の叙述を組み上げていったのです。


3.独占研究への展開

そこまでは実証研究ですが、そこから議論がさらに広がって行きます。それが「先に見えてきたもの」の最初になります。

 何をしたのかというと、論文として発表した「買鉱制度」「大戦後の市場構造」「産銅独占の研究」などを書いていたこともあって、--人によっては、武田ははじめから独占研究を志していたと思っているようですが、そうではないのです--次第に第一次大戦期の産業部門における独占形成などの問題に関心を移すことになりました。ただし、これは必ずしも産銅業史から自然に出てきたわけではありません。むしろ当時の東京周辺の若手の研究者の動きに同調していったという側面が強く、つまり同世代の若手の研究者たちと議論するためには、鉱山の研究を自分の城のようにして籠城していてもどうにもならないと感じていたからです。

 このころ、東京周辺の大学院にはかなりの数の経済史を志す若手がいて、それらが自主的に横断的な研究会を設けて活発に議論をしていました。そうした動きのなかから、1920年代史研究会が私より少しうえの世代を中心に組織されて、かなりの期間の議論を経て『1920年代の日本資本主義』(東京大学出版会、1983年)という共同研究をまとめます。この頃には、西の方では山崎隆三さんを中心とした共同研究(山崎隆三編『両大戦間期の日本資本主義』上下、大月書店、1978年)も進んでいましたが、そうした動きと競い合うように議論が重ねられたのです。少し遅れて大石嘉一郎さんを中心とした帝国主義史研究会が東大社研を拠点に組織されていますが、これも戦間期の研究への関心の高まりを反映した動きでした。この成果は、東京大学出版会から『日本帝国主義史』3巻として公刊されることになります。このほかにも財閥史研究についての研究会などもあり、大学院での講義演習以外にもかなりたくさんの異なる立場での議論の機会があったのです。

 そうしたなかで、私の研究に大きな変化をもたらすきっかけとなったのが、1920年代史研究会や帝国主義史研究会での議論をベースにした「日本帝国主義の経済構造」という歴史学研究会近代史部会での報告です。この当時の近代史部会は、もう二人ともなくなってしまったのですが、安田浩さんと林宥一さんという東京教育大学で学んでいた政治史、運動史研究を専攻している人たちが中心になって、帝国主義時代への研究に近代史の研究をシフトしようとしていました。その人たちとの議論のなかで、経済史の殻に閉じこもるのではなくて、日本史研究全体のなかできちっと考えるべきだという気運が盛り上がって、そういう動きに巻き込まれてまとめたのが歴研報告です。

 帝国主義という言葉は、今では経済史の分野ではあまり使いませんけれど、当時でも中村隆英さんはそうした概念を使うことに否定的でしたし、原朗さんも慎重でした。そういう意見が少数派ですがありましたけれど、私は、日本史研究の広い関心のなかで議論するのには使うことにも意味がありそうだと、頭も古いので、あまり深く考えずに使いました。当時は、大正デモクラシー研究とか日本ファイズム研究が政治史・運動史で活発に議論されていて、そうした議論と経済発展、経済構造の変化とはどういう関係があるのか、ということが問題だったのですが、そうした分野の人たちはかなり図式的な講座派的資本主義論に立っていたように思います。でも、図式的なマルクス主義理解に沿って考えると基底還元論ですから、絶対主義的天皇制の下で民主化が進むとか、大衆社会状況の下で欧米では生まれてくるファシズムと対比可能な政治システムが生まれるとか、議論は混迷していたように思います。今ほど離れてはいないですが、政治史研究と経済史研究の間に対話がないことに危機感を持っている歴史家たちがいて、そういう人たちが対話をする舞台を作ろうとしていたというのが歴史学研究会近代史部会に代表される動きです。

第27回(1)はじめに/1.研究の出発点としての産銅業史研究
 (2)2.方法的視点としての「コスト分析」/3.独占研究への展開
 (3)4.国民統合にかかわる「調停法体制」論/5.一国資本主義論的アプローチの限界
 (4)6.独占停滞論からの脱却と現代資本主義(国家独占資本主義)論
 (5)7.組織化という捉え方/8.産業から企業へ
 (6)9.「市場か、組織か」から「市場も、組織も」へ
 (7)10.市場の発展とその限界
 (8)質疑