日本経済史・経営史:研究者のひろば コラム

異端の試み

第27回 番外編1 『日本産銅業史』の先に見えてきたもの

-私的研究史の方法的な回顧-

武田晴人

第27回(1)はじめに/1.研究の出発点としての産銅業史研究
 (2)2.方法的視点としての「コスト分析」/3.独占研究への展開
 (3)4.国民統合にかかわる「調停法体制」論/5.一国資本主義論的アプローチの限界
 (4)6.独占停滞論からの脱却と現代資本主義(国家独占資本主義)論
 (5)7.組織化という捉え方/8.産業から企業へ
 (6)9.「市場か、組織か」から「市場も、組織も」へ
 (7)10.市場の発展とその限界
 (8)質疑

6.独占停滞論からの脱却と現代資本主義(国家独占資本主義)論

侵略の必然性を説明できないとしたことは、このような反応を呼びましたけれど、他方では経済史研究を前進させるうえで重要な転換点にもなりました。そもそも独占・過剰資本という議論では、独占的な経済構造が形成されると経済的な停滞に陥ると考えていました。過剰資本が形成されるということは、国内に投資機会がなくなっていると理解され、産業発展が望めないからです。これはマルクス主義者には都合がよかったのでしょうが、第二次大戦後の資本主義経済社会の高成長を説明できない論理になりました。1970年代から80年代に研究を志している人間から見ると、「経済大国」となったと評価される日本経済が目の前に展開しているわけですから、このような独占停滞論にはリアリティが感じられなかったというのが、正直なところです。

 だから私たちの関心は、資本主義がなぜ、第二次大戦後にあれほどの経済成長を成し遂げたのかということを明らかにすることに向いていました。経済史の問題領域に即していえば、そのような現状を説明することと、第二次大戦前の資本主義の展開とを連続的に説明できるかどうかということが課題でした。

 この議論を主導したのが、橋本寿朗さんです。橋本さんは『大恐慌期の日本資本主義』(東京大学出版会、1984年)を書いたあとに、これからは「成長の経済史」を研究すると宣言して、戦後の日本経済分析に突き進んでいきます。高成長の資本主義経済を分析できる論理をもたなければ,経済史研究は存在意義がないとまで言い切って研究を大きく推展させていきます。橋本さんに同意するかは別にして、彼は停滞的なイメージが強い国家独占資本主義という捉え方から離れるために現代資本主義という言葉を使い、より積極的には20世紀システムという捉え方で議論を重ねて、今起こっていることはどう理解すればよいかに立ち向かい、戦後史研究に重要な足跡を残しています。

 この過程で独占についての理解も変化していきます。循環的な恐慌を回避するためという側面があることについては継承されますが、それを強調してきた宇野理論の独占理解は修正される必要があると考えるようになります。独占利潤を収奪する側面があることも事実でしょうが、それだけでは不十分だと考えるようになりました。そういう側面よりはむしろ、産業資本段階に発展してきている市場メカニズムがもつ不安定性を制御しようとする試みとして独占を捉える、それが価格機構の「部分的修正」という捉え方です。価格メカニズムが累積的悪循環によって生じる経済的な混乱を価格機構に対する人為的介入、私的企業の共同行為によって制御しようとする試みと捉えるというものです。

 そのような議論を踏まえて私自身は、独占企業が管理価格を設定して市場を制御することは、企業行動にどのような変化を起こしたのかを考えるようになっていきます。そのことがたまたま産銅業史研究でのコスト分析とつながっていきます。どういうことかというと、自ら市場の価格変動を制御するようになると、そのとたんに企業にとって市場の価格は与件になります。この状態は、実は競争的な市場で決まる価格が個々の企業にとっては与件であると考えられているのと同じ状態です。

 このように管理価格であろうと、価格設定によって価格が与件になれば、それを前提にしてコストを削減する以外に利益を増大させる方法はなくなります。共同行為に参加している企業間で競争が起こるとすればコスト削減競争になると考えるのが合理的だと思います。価格は協定があれば操作できる変数ではないですが、コストは自らの努力で操作可能な変数だからです。そうした企業努力はインクリメンタルな革新を引き起こす原動力になり、そうした革新を生む組織に企業が進化していくことを示すと理解するようになります。

 そして、もしそうだとすればそこから絶えざる生産性の上昇が生じるわけですから、そこから考え得ることは独占停滞論とは全く逆の、寡占的なコスト削減競争を介した経済成長になる。これであれば戦後の高成長経済と架橋することのできる帝国主義段階論になるという見通しを持つようになったわけです。

 一般に経済学者は、独占的な協定によって価格が管理され、価格競争が停止すると企業はそれによって得られる独占利潤(レントといっもよいですが)に安住して生産性の上昇が停滞する、だから独占は問題だと考えています。市場の価格競争だけが生産性上昇につながるような企業行動を引き起こすという根拠はないと思うのですが、そもそも理論的にそのような前提に立っているのです。これは、大学教授になったとたんに、その地位と給与に満足して研究をしなくなるといっているような話で、そういう主張をする経済学者にであうと、もう研究を止めたのかなと気の毒に思いますが、競争はさまざま形で行われうるのです。この点は、あまり評判の良い本ではありませんが、『談合の経済学』という本で、外見的に協調しているようにみえる企業間にも競争はあることを強調しています。

第27回(1)はじめに/1.研究の出発点としての産銅業史研究
 (2)2.方法的視点としての「コスト分析」/3.独占研究への展開
 (3)4.国民統合にかかわる「調停法体制」論/5.一国資本主義論的アプローチの限界
 (4)6.独占停滞論からの脱却と現代資本主義(国家独占資本主義)論
 (5)7.組織化という捉え方/8.産業から企業へ
 (6)9.「市場か、組織か」から「市場も、組織も」へ
 (7)10.市場の発展とその限界
 (8)質疑